銀閣慈照寺 様

世界遺産 銀閣慈照寺方丈 襖絵・壁画 48面

世界遺産銀閣慈照寺方丈(本堂)にある、江戸時代の文人画家与謝蕪村(1716-83)筆の「飲中八仙図」「山水人物図」「棕櫚に叭叭鳥図」の3作品36面と池大雅(1723-76)筆の「琴棋書画図」の12面、計48面の紙本墨画淡彩の「襖絵と壁画」を「伝匠美」で再現しました。 経年にともなう虫食いや破損部分は監修者の指導の下、バーチャル補修にて認識できる程度に目立たなくしております。

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西の間 与謝蕪村筆 「棕櫚に叭叭鳥図」

原本

伝匠美

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室中の間 与謝蕪村筆 「飲中八仙図」

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東の間 池大雅筆 「琴棋書画図」

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上官の間 与謝蕪村筆 「山水人物図」

銀閣寺とは

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通称銀閣寺は、正しくは東山慈照寺といいます。室町幕府足利八代将軍義政公によって造営された山荘東山御殿がそのルーツであります。義政公の没後、臨済禅宗の寺院となり、義政公の法号慈照院にちなんで慈照寺と名付けられました。銀閣寺と呼ばれるようになったのは江戸時代です。三大将軍義満公造営の山荘北山御殿・金閣寺に対し銀閣寺と称せられるようになりました。
銀閣寺は国宝の東求堂があり、1994年12月17日には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されました。

巨匠文人画家のコラボレーション

■ 与謝蕪村(よさぶそん)
(1716-83/享保元-天明3)。大阪生まれ。
江戸にて俳諧の世界に入り、芭蕉を深く敬慕。焦風復興を提唱した江戸中期俳諧のリーダー。また同時に南宋画の分野でも才能を発揮。常総漂泊の旅で俳諧に画に厳しい試練を積む。その後、京都に移り、二つの分野で大成することになった。俳句がどちらかといえば美しい世界をうたったのに対し、絵画はある種の脱俗的な世界を好んで描いた。
蕪村作による数少ない襖絵のうち三作品が残されている。「棕櫚に叭叭鳥図」で花鳥、「飲中八仙図」で人物、「山水人物図」で山水をそれぞれ描き、その画態は真・業・草を意識したように思われる。いずれも明和年間(1764-72)頃の作品と推定される。

■ 池大雅(いけたいが)
(1723-76/享保8-安永5)。京都生まれ。
早熟で早くから書画の才能を発揮、芸術家との交友を広げ中国からの新しい文化にふれて青年期を送った。また相当な旅行好きで、数多くの真景図を残している。蕪村との合作国宝「十便十宜図」も残し、蕪村と並ぶ日本南画の大成者。中国の故事や文人、名勝を画材にした作品が多く、明るく素朴で雄大な作風が特徴で、墨や絵の具の濃淡によって奥行きのある空間を構成。中国的な画題の典型として残された作品「琴棋書画図」は、文人がたしなむべき技芸としての琴・棋・書・画が題材。山中で遊戯三昧の生活を営む文人に大雅自らの理想を託して描かれている。

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