アセットマネジメントから脱して、新たな価値の探索を!
生活者視点で考える出版業界の新しいビジネスモデル

多くの生活者にとって、Web、SNS、YouTubeなどスマートフォンを使った情報取得の割合が増える中、出版業界のビジネスモデルは大きな変化の岐路に立っているといえます。こうした中、出版業界が新たなビジネスモデルを考える上で欠かせないのが、従来いわれてきた「読者視点」をさらに深めた「生活者起点」です。ビジネスデザイナーとしても活躍する武蔵野美術大学クリエイティブイノベーション学科教授の岩嵜博論氏に、デザイン思考に基づいて新たなビジネスモデルのヒントを見つける方法について伺いました。

プロフィール

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武蔵野美術大学クリエイティブイノベーション学科
教授/ビジネスデザイナー
岩嵜博論(いわさき・ひろのり)氏
リベラルアーツと建築・都市デザインを学んだ後、博報堂においてマーケティング、ブランディング、イノベーション、事業開発、投資などに従事。2021年より武蔵野美術大学クリエイティブイノベーション学科に着任し、ストラテジックデザイン、ビジネスデザインを専門として研究・教育活動に従事しながら、ビジネスデザイナーとしての実務を行っている。ビジネス✕デザインのハイブリッドバックグラウンド。著書に『機会発見―生活者起点で市場をつくる』(英治出版)、共著に『パーパス 「意義化」する経済とその先』(NewsPicksパブリッシング)など。イリノイ工科大学Institute of Design修士課程修了、京都大学経営管理大学院博士後期課程修了、博士(経営科学)。

【目次】

生活者を理解・共感して、自身の「見立て」をアップデートする

——近年、「生活者起点でビジネスを考えよう」といわれるようになりました。改めて、「生活者起点に立つ」とはどういうことか、お聞かせください。

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岩嵜氏:従来は技術起点でイノベーションが起きてきましたが、近年は技術面のアップデートだけでは顧客に大きな価値を与えることが難しくなってきました。こうした中、革新性のある顧客体験を提供できるかどうかがビジネスの成長を左右するようになっています。

顧客体験に革新を起こすために必要なのが、生活者起点で機会を発見するアプローチです。やらなければいけないのは、次の2つ。

最初のステップは「理解」です。サービスや商品を提供する生活者がどんなことを考え、どのように情報を取得しているのかを理解する。

次のステップが「共感」。英語では、かわいそうに思って同情する「sympathy」と、その人の身になって同じ気持ちになる「empathy」がありますが、ここで必要なのは「empathy」です。

生活者が何に価値を感じているかを深く観察、理解し、共感する。そして、観察者の立場を失うことなく、自らも生活者の1人として同じ気持ちになることが大切です。

そのために役立つのがフィールドワークです。対象となる人にインタビューをしたり、実際に現場に足を運んでみたりすることで、「何が求められているのか」を知ることにつながります。

——「empathy」ができるようになると、何が変わるのでしょうか。

岩嵜氏:「empathy」によって新たな視点や情報を獲得できると、自分自身の「見立て」が変わります。例えば、旅行で初めての場所を訪れると、世の中を見る目線が変わることがありますよね。これは、旅行によって自分の「見立て」がアップデートされているからです。

最初にイメージしていたものとは違う情報を得て、「見立て」が広がったり狭まったりを繰り返すことで、新しい気付きを探索していくことができます。

こうしたアプローチを自身ではおこなっていると思いながらも、十分にできていないケースが往々にしてあります。生活者の情報を得るだけでは不十分で、生活者の「見立て」を獲得して自分自身の「見立て」をアップデートし、その上でさまざまな物事を考えることが大切です。

既存アセットの枠を抜け出し、新たな機会を探索する

——出版業界の場合、「生活者起点」をどのように取り入れるといいのでしょうか。

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岩嵜氏:出版業界はある種、アセットヘビーな業界です。印刷することを前提に生産体制を管理する必要がありますし、定期刊行によって得た資産を維持した上で実行するビジネスなので、アセットのマネジメントに注力がいきがちです。

今まではその枠組みの中で、いいものを作れば売れました。アセットの品質管理だけをしていればよかったんです。

しかし、生活者の情報取得ルートが多様化する現在では、それだけでは不十分。雑誌を含んだ紙メディアのビジネスは今、大きな変革が求められています。

出版業界の方々はこれまでも「読者視点」を大切にしてきたと思いますが、果たして「empathy」のレベルで読者=生活者の理解・共感ができているでしょうか。変革が求められているからこそ、改めて立ち返って見る必要があると思います。

——既存のアセットにとらわれずに新規ビジネスを考えるためには、どうすればいいのでしょうか。

岩嵜氏:今あるアセットが充実しているほど投資したお金や時間が惜しくなり、現状から抜け出せなくなってしまいがちです。いわゆる、サンクコスト効果ですね。

出版ビジネスの場合、今乗り越えなければいけないのは、「紙を印刷して販売するというアセットから、いかに距離をおくか」です。

まずは既存のアセットを忘れる。そして、ゼロベースで、生活者がどういうエクスペリエンス、価値を求めているかを「empathy」のレベルで考える。その上で自社に対応するアセットがあるなら活用する、なければ立ち上げるか他社とパートナーシップを組む、という流れで考えていくことが重要です。

——雑誌を発行することを起点にビジネスを考えるのではなく、生活者を起点にビジネスを考えていく、ということですね。

岩嵜氏:例えば、出版物を読む行為の目的は情報収集以外に、「学び」という切り口もあります。この点でもスマートフォンアプリやYouTubeが競合にいますが、「学び」の切り口で、「そもそも、学びたい人とはどんな人なのか」「何を、どんなふうに学びたいのか」、そこに対して「どんな新しい機会・価値を提供できるか」を考えてみる。

すると、SNSで高まるセルフパブリッシュのニーズにこたえることはできるか、ZINEのようなものでSNSに近いものはできるか、あるいは、自己表現という文脈、仲間づくり・コミュニティという文脈で何かできるか——というように、さまざまな視点から生活者にとっての学びの価値を考えることができます。

学びのコンテンツの一例として興味深いのが、アメリカで展開しているオンライン学習システム「マスタークラス」です。著名なハリウッド俳優や学者などが講師となり、映画のようなリッチな映像の授業を受けられるのが特徴で、キャスティングや映像制作におそらく映画撮影のノウハウが持ちこまれていると思います。

学びのコンテンツは世の中にたくさんありますが、リッチな体験を提供をするものは多くありません。「マスタークラス」の場合は、「学び」に「映画」のアセットを掛け合わせることで、革新的なサービスになったといえるでしょう。

このように、異業種のアセットを組み合わせることで、新しい価値提供につながることもあります。既存アセットの枠組みでの発想を抜け出して、新しい視点で探索をしていくことで、出版ビジネスの可能性もまだまだ広がっていくと思います。

読者イメージの解像度を高め、最適な語りかけ方を考える

——情報提供のツールとして生活者視点で出版ビジネスを考えると、どんな方法が考えられますか?

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岩嵜氏:スピードや量、リッチさでオンラインコンテンツにかないませんし、シェアラブルの面でも紙媒体は弱くなってしまいます。しかし、ビジネスとして可能性がまったくないとは思いません。

そもそも雑誌には定期購読の文化がある。いわゆる、サブスクリプションモデルです。定期的に自分が好きなものが届くことの価値は大きいので、従来の雑誌以外の形で新しい展開を考えていくこともできるのではと思います。

また、紙媒体ならではの物理的な価値を高めたり、さまざまなコミュニティが持つ独自のネットワークを活かしたりすることで、新しい価値提供につながる可能性があるのではないでしょうか。

——近年は、紙媒体とあわせてオンラインでのコンテンツ配信に力をいれるメディアも増えています。オンラインならではの価値を提供するために、雑誌メディアができることは何でしょうか。

岩嵜氏:アメリカで近年、古くて新しいビジネスとして注目されているのがニュースレーターです。日本だと、noteがイメージが近いかもしれません。書き手がたくさんいる点は同じですが、異なる点としては、ニュースレターはPUSH型ということ。お気に入りのコンテンツが自分のメールボックスに定期的に届くという点で、すごくパーソナルな感じなんです。メディアがSNSアカウントを運用するのとは、また違う体験を提供できていると思います。

何が読者に届くのかは、読者層の規模感や個性によって変わってきます。数10万人、1万人、1000人に向けた情報では、それぞれ取り上げる情報や語りかけ方が異なります。

雑誌は従来マスディアの枠組みでしたが、SNSが広まり、情報のパーソナル化が進んでいる現在はミドルメディアくらいに考えたほうがいいかもしれません。

こうした中で、これまでの雑誌メディアの読者層の分類は大きすぎて、適切にターゲットをとらえられていない可能性もあります。この点においても既存の枠組みをいったんなくしてとらえなおし、自分たちが価値を届けたい読者イメージの解像度をより高め、彼らが求める語りかけ方を検討することが大切です。

何10万人もの読者に向けてコンテンツをデジタル化して運用するという世界ももちろん必要ですが、その先にある世界をもっと探索していくことも、必要だと思います。

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