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INNOVATION

イノベーションは、
このような形で突如現れる。

今やあたりまえと思われている走高跳の背面跳びは、
第19回オリンピック競技大会(1968/メキシコシティ)で、
ある一人の選手が初めて登場させました。当時あまりにも奇異だったこの跳び方は、
その練習中に嘲笑する人がいるほどでした。
しかし彼はその革新によって、金メダルを獲得しました。
革新というものは、最初は異様なものとして目に映ります。
それが工夫と努力の末に受け入れられ、世の中のあたりまえになっていくのです。
DNPは、まだ見ぬ「未来のあたりまえ」をつくるために、
印刷と情報の力でイノベーションを目指し、今日も着実な一歩を進めています。

現代ではパラリンピックの走高跳でも、背面跳びが行われています。

現代ではパラリンピックの走高跳でも、背面跳びが行われています。

イノベーションは、
このような形で突如現れる。

今やあたりまえと思われているクラウチングスタートは、
第1回オリンピック競技大会(1896/アテネ)で、ある一人の選手が登場させました。
彼は、その革新的な走法によって、金メダルを獲得しました。
このようにイノベーションは世の中に突如現れ、最初は奇異に見えることがあります。
しかし、それが新たな常識へと変わり、世の中のあたりまえになっていくのです。
DNPは、まだ見ぬ「未来のあたりまえ」をつくるために、
印刷と情報の力でイノベーションを目指し、今日も挑戦を積み重ねています。

現代におけるクラウチングスタート

現代におけるクラウチングスタート

背面跳び篇

クラウチングスタート篇

背面跳び篇

©1968 – IOC – All rights reserved Mexico 1968

背面跳びはなぜ
イノベーションなのか?

クラウチングスタート篇

Athens 1896 Fine Arts Images/Heritage Images/ゲッティイメージズ

短距離走における
イノベーションとは?

背面跳び篇クラウチングスタート篇

走り高跳びの歴史はイノベーションの歴史でもある。はさみ跳びから始まり、ロールオーバー、ベリーロール、背面跳びへと進化を遂げていった。日本陸連などで長年に亘ってスポーツ動作や技術のバイオメカニクス的分析を試みていた大学教授の阿江通良(あえ・みちよし)教授によると、現在は「進化した背面跳び」が主流になりつつあるという。

走り高跳びの進化の歴史の中でも、特筆すべきは背面跳びの登場である。米国のディック・フォスベリーが発明したため、またの名を「フォスベリー・フロップ」ともいう。

高校に入って陸上を始めたフォスベリーは、この跳び方を発明するまでは凡庸な選手だった。他の選手同様、バーを下に見るように回転するベリーロールで跳んでいた。

©1968 – IOC – All rights reserved Mexico 1968

当時、100mのスタートには「正解」がなかった。アテネ1896オリンピック。陸上男子100mのスタート時の写真を見ると、いろいろなスタイルがある。かがんでいる人。2本の棒を支えにしている選手。そしてひとりだけ、かがんでスタートしている選手がいる。みんな、勝利のために創意工夫を凝らしていたのだ。

Athens 1896 Fine Arts Images/Heritage Images/ゲッティイメージズ

勝ったのは、両手をつき「クラウチングスタート」を見せた21歳、アメリカの大学の法学部に在学中のトーマス・バークだった。当時は立ったままスタートするのが普通だったスプリント競技で、周りの目を気にすることなく、バークはクラウチングスタートを行い、見事に優勝した。バークのタイムは12秒0。バークは勝ったことで、「未来のあたりまえ」をつくったのである。

一方で、2本の棒を使ってスタートした選手の資料はほとんど残っていない。勝たなければ記憶されないのがスポーツの世界の厳しさだ。彼のアイデアは開花することはなかったが、それでも、彼の改良への努力は称えられるべきだろう。

Athens 1896 Fine Arts Images/Heritage Images/ゲッティイメージズ

アメリカの大学の工学部に入学したフォスベリーは、ある日、腰を浮かせて背中でバーを越える奇抜なフォームを思いつく。頭でイメージを描き、実際にやってみる。すると、どんどん記録が伸びていった。

フォスベリーには背面跳びを完成させる上での下地があった。彼にはバスケットボールの経験があったのだ。ジャンプシュートの要領で、体を後方に倒しながら跳んでみる。要するに体の回転軸を前方から後方にかえたのだ。これが思わぬ果実をもたらせた。

体を守るスポンジラバーのマットもフォスベリーに味方した。阿江教授は「当時のアメリカはどこに行っても同じようなマットがあり、それが自由な発想を生み出したのではないか」と見る。「もし、日本のような砂場だったら、背面跳びは生まれていなかったでしょう」とも。

少しでも勢いよく飛び出したいという思いが、競争を生み、人類が速く走ることにつながっていったのだから。ひとりの努力ではなく、競技に夢を託した一人ひとりが挑戦を積み重ねたことで、「クラウチングスタート」という新しい価値が生み出されたのだ。

男子100mにおいて、次に大きくイノベーションを起こすきっかけとなったのは、スターティング・ブロックの登場である。

男子100mにおいて、次に大きくイノベーションを起こすきっかけとなったのは、スターティング・ブロックの登場である。1982年のアメリカの映画祭の作品賞を受賞した『炎のランナー』は、パリ1924オリンピックの陸上競技を舞台にした映画だ。初めて見たとき、とても驚いたシーンがあった。スタート前、世界各国からやってきた選手たちが、小さなシャベルを持って、一斉に土を掘っていたのだ。スターティング・ブロックがないこの時代、選手たちは自らの手で土を掘り、スタートの足の位置を決めていたのである。このパリ1924オリンピックの100mで勝ったのは、『炎のランナー』の主人公でもあるハロルド・エイブラハムズ。タイムは10秒6だった。

イノベーションは
技術面だけにとどまらない

21歳で迎えたメキシコシティ1968オリンピック。フォスベリーは、自らが編み出した独自のフォームで2メートル24センチをクリアし、金メダルに輝く。身体能力の勝利ではなく人間の想像力と創造性の勝利だったと言っていいかもしれない。

とはいえ、フォスベリーの記録は2メートル27センチ止まりであり、ベリーロールでマークしたワレリー・ブルメル(ソ連)の2メートル28センチには及ばない。1961年から63年の間に6回も世界記録を塗り替えたブルメルの身体能力は傑出しており、フォスベリーの比ではなかったことが窺い知れる。

イノベーションが生んだ9秒台への道

陸上競技にスターティング・ブロックが初めて登場したのは、パリ1924オリンピックが終わってから間もない1929年のこと。当初は木で製作されていたが、瞬く間に世界中に広がり、いくつかの記録は、スターティング・ブロックを使ったために公認されなかった。イノベーションに、常識が追いつかなかったのだ。オリンピックでスターティング・ブロックが使われるようになったのは、ロンドン1948オリンピックから。金メダルを獲得したのはアメリカのハリソン・ディラードで、記録は10秒3だった。

フォスベリーが発明した背面跳びは、その後、さらに技術的研究が進み、踏み切りにおいては「低く入って高く出る」こと、助走においては「曲線助走を用いて大きな助走スピードを利用する」こと、跳躍にあたっては「股関節の外転筋群を使い、大きな地面反力を得る」ことの重要性が明らかになった。イノベーションは技術面だけにとどまらない。

「既成のフォームや技術にとらわれない独創的なアイデアが選手やコーチには必要」だと阿江教授は言う。この部分が硬直化してしまうと、イノベーションのスピードも遅滞してしまう。

東京1964オリンピックでは、アメリカのボブ・ヘイズが10秒0で優勝、人類はいよいよ9秒台へと突入しようとしていたが、それにひと役買ったのが、トラックの技術革新だった。

メキシコシティ1968オリンピックでは、陸上競技に初めて全天候型のタータン・トラックが登場する。それまでは雨が降ると足元が悪くなり、選手たちのパフォーマンスが下がることは避けられなかった。しかし、素材の進化によってたとえ雨が降ったとしても選手たちが自分たちの力を十二分に発揮できる環境が整った。高地で行われたメキシコシティ1968オリンピックでは、アメリカのジム・ハインズが9秒9のオリンピック記録、世界新記録で優勝。

人類は、100mを9秒台で争う時代に突入したのである。

新結合こそがイノベーションの
ベーシックス

冒頭で記したようにフォスベリーが発明した背面跳びは、現在、その進化型のフェイズに入っている。阿江教授によると、「踏み切りがベリーロールで空中フォームが背面跳びのそれ」なのだという。

冒頭で記したようにフォスベリーが発明した背面跳びは、現在、その進化型のフェイズに入っている。阿江教授によると、「踏み切りがベリーロールで空中フォームが背面跳びのそれ」なのだという。

蛇足だがイノベーションを定義したのはオーストリア=ハンガリー帝国出身の経済学者ヨーゼフ・シュンペーターである。シュンペーターは新しい結び付きによって技術革新、生産革命が起きるとの概念を提示した。すなわち新結合(neue kombination)こそがイノベーションのベーシックス(母胎)というわけだ。

たとえばスマートフォン。これは通信技術とデジタル技術の結合である。回転寿司は握り寿司とベルトコンベアの組み合わせである。まさにコロンブスの卵。ちょっとした遊び心や意外な切り口からイノベーションはもたらせるのである。

12秒0から9秒63へ ?
イノベーションと男子陸上100m

技術革新が進んでいくなか、トラックには「超人」が出現していた。ロサンゼルス1984オリンピックでは地元アメリカのカール・ルイスが9秒99で優勝。しかもルイスは100mと併せ、200m、走り幅跳び、400mリレーの四冠を達成した。トレーニング理論が確立し始め、ルイスは世界の最先端を走っていた。

阿江教授が指摘したように、固定概念に染まっていたり、既得権益を守ろうとする側からは何も生まれない。米国において輸送業の王者だった馬車の事業者は最後まで鉄道事業に反対した。権益を守るためだ。晴れて新王者となった鉄道事業者は、やがてチャレンジ精神を失い自動車の普及を恐れた。そして今、自動車会社はIT企業の攻勢にさらされ、事業転換に取り組む必要性が出てきている。持たざる者が持つ者を凌駕するのが世の理(ことわり)であることを私たちは知っておく必要がある。

現在の走り高跳びの世界記録は1993年7月にキューバのハビエル・ソトマヨルがマークした2メートル45センチ。「ベリーロールの踏み切りを背面跳びでやり、背中でバーを越える。誰もが考えながらできなかったことを彼はやってみせた」と阿江教授。だが、それ以降、記録の時計は27年間も止まったままだ。新たな時を刻むのは誰か、それはどんな技術か。走り高跳びに関するテクノロジーは人類の進化の現在地をも示してもいると言えよう。

現在の走り高跳びの世界記録は1993年7月にキューバのハビエル・ソトマヨルがマークした2メートル45センチ。「ベリーロールの踏み切りを背面跳びでやり、背中でバーを越える。誰もが考えながらできなかったことを彼はやってみせた」と阿江教授。だが、それ以降、記録の時計は27年間も止まったままだ。

新たな時を刻むのは誰か、それはどんな技術か。走り高跳びに関するテクノロジーは人類の進化の現在地をも示してもいると言えよう。

そして北京2008オリンピックで、ジャマイカのウサイン・ボルトが登場する。会場となった「鳥の巣」で、ボルトの走りを見た衝撃は忘れられない。記録は9秒69。世界新記録。「ライトニング・ボルト」というニックネームそのままに、ボルトは稲妻のごとく北京の100mを駆け抜けた。

4年後、ボルトはロンドン2012オリンピックでオリンピック記録を9秒63にまで伸ばす。1896年、バークがクラウチングスタートを導入して始まった100mのイノベーションの歴史は、スターティング・ブロック、トラックの改良を経て、人間が効果的なトレーニングを取り入れ、なにより自分自身を追い込むことによって進化してきた。12秒0から9秒63。わずか2秒37かもしれない。それでも、そこには人間の英知から生まれたイノベーションの結晶が詰まっているのだ。

※現在の世界新記録はボルト選手の「9秒58」です。

©1968 – IOC – All rights reserved Mexico 1968

ライター
二宮清純(にのみや せいじゅん)
スポーツジャーナリスト
監修
阿江通良(あえ みちよし)
日本体育大学 教授

Athens 1896 Fine Arts Images/Heritage Images/ゲッティイメージズ

ライター
生島淳(いくしま じゅん)
スポーツライター
監修
藤光謙司(ふじみつ けんじ)
ゼンリン所属

背面跳び篇クラウチングスタート篇

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