入社後、最初に配属された包装開発センターでは、大手食料品メーカーの人気商品のパッケージ提案・制作、プロモーション企画を行っていました。ようやく仕事も面白くなってきた3年目に最初の転機が訪れました。企画から営業に異動となったのです。当時は企画から営業の異動の例はあまりありませんでしたが、戸惑っているヒマはありません。切り替えて、新入社員の気持ちで営業の仕事を吸収していきました。
2000年頃にDNPとしても販売実績がまだなかった高速無菌充填システムの販売を担当することになります。これは、ペットボトルに無菌状態で飲み物などを充填するシステムのことで、ペットボトルの生産から内容物の充填、キャップやラベルを付ける、各地に配送するまでの流れを一貫して提案する大型のプロジェクトでした。受注額が数十億円というスケール感は駆け出しの営業だった私にとって逆にプラスだったと今は思います。なぜならば、実現できるだろうか?という不安よりも、この意義あるチャレンジとどう向き合って達成していけば良いか?というように前例や決まったレールがない中でも自ら考えて行動し、形にしていく責任感を育む絶好の機会となったからです。
当時、ペットボトルの容器殺菌処理は「熱殺菌」が主流でしたが、耐熱性を持たせたペットボトルは、高価なものになってしまいます。また、空のペットボトルを輸送するのは、空気を運ぶためにトラックを走らせるようなものです。私達はそれらを解決すべき課題ととらえ「生活者にはより安全・安心で、環境にもより良く、得意先には安定した利益確保が可能となる生産ラインを提供すること」を目指し、市場と得意先の間を技術で繋いでいく提案を目指しました。数多くのトライ&エラーの末、得意先も納得できるスペックのプラント構築を実現します。このプラントの仕組みは常に技術進化を遂げ、現在では国内で高いシェアをもって稼働するまでになっています。現在、主流となっている無菌充填システムの礎を作った経験は自分にとって大きな糧になっています。その実績を買われ、海外からのご依頼も増えました。しかし日本のものを水平展開するだけでは上手くいかず、現地にあわせた形でプラントを再構築することもありました。時には合理性を図るために、現地法人としてペットボトル生産会社を立ち上げることを自ら発想し、会社設立に携わることもありました。どんな時も今までの視点や経験を糧にしながらも、それに固執することなく、その時々にあった行動を起こすことを大切にしていました。