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写真新世紀10周年記念ー 大阪展「Futuring Power」
木ノ下智恵子[神戸アートビレッジセンター]

 
福岡/川浪千鶴
神戸/木ノ下智恵子
東京/南雄介
倉敷/柳沢秀行
エントランス(上から)
10年の軌跡解説ボード
HIROMIX
野口里佳
安村崇
上から:エントランス(上から)、10年の軌跡解説ボード、HIROMIX、野口里佳、安村崇
 ダゲレオタイプが発明されてから二世紀に満たない僅かな年月を経て、写真というメディアは劇的な変化を遂げてきた。「大きな部屋型のカメラオブスキュラ」から「手のひらサイズのデジタル機器」へと姿を変え、写真のメディア性は、新聞・雑誌などの印刷メディアと結びつくことで圧倒的な存在感を示してきた。日常のすみずみまで膨大な映像情報が浸潤し、殆ど全ての人々は生まれてから日常的に「写真」と接している。妊娠中の胎児の記録、家族アルバム、学校機関などの記念写真、プリクラや携帯などのコミュニケーションツール、死を見送るときの遺影、といったように我々の人生は写真(映像)と共にある。社会の史実をドキュメントするジャーナリズムから、1人の人生を記述するパーソナルメディアとして、人間にとって無くてはならないパートナーシップを築いた恐るべき時代の寵児(写真)は、表現世界にも多大な影響を及ぼし続けている。世界を映す鏡として絵画からお株を奪っただけではなく、画家のスケッチの補助具として写真は蜜月関係にあり、写真的イメージを絵画によって追求するフォトペインティングが主流であった事実は記憶に新しい。また、いわゆる写真家の領域を逸脱して隅々まで浸透し、美術館でも写真の展覧会が数多く開催され、シンディー・シャーマン(コンストラクティッドフォト)やナン・ゴールディン(ストレートフォトグラフィ)など、コンセプチャルアートを中心とした現代美術における学究的な位置づけが確立されている。
 時間から空間をあるいは実体からイメージだけを切り離し、奥行きを持った次元を平面にたたみ込むという写真の本質的な特性を活かした表現は、主題(モチーフ)との距離を縮め、作品としての完成度と強度を容易に獲得しているのかも知れない。その恩恵に与った時代の申し子達の展覧会「写真新世紀10周年記念 Futuring Power 大阪展」が5月大阪/casoで開催された。
 「写真新世紀」はキャノンがメセナ活動の一環で主催する公募展として、写真表現の新しい可能性に挑戦する新人写真家の発掘・育成を目的に1991年に発足され、荒木惟経、飯沢耕太郎、南条史生氏のレギュラー審査員に加え、ロバート・フランク、ベルナール・フォコン、ホンマタカシ、横尾忠則、東野照明といったゲスト審査員を毎年招待して、合議制ではなく1名ずつ優秀賞を選出。更に入賞者による展覧会とプレゼンテーションによって最優秀賞(年間グランプリ)を決定し、受賞者は次年度に個展を開催するという独自の形式を実施してきた。1992年度から2001年度までのグランプリ受賞者は10名、優秀賞受賞者は85名にのぼり、オノデラユキ、大森克巳、HIROMIX、野口里佳、佐内正史、蜷川実花、安村崇などを輩出し、現代美術からコマーシャルフォトまで多岐に渡るフィールドで受賞者が活躍を遂げることで、「写真新世紀」は名実共に新人写真家の登竜門として認知されてきた。
 本展が実施されてきたこの10年は、バブル崩壊など社会的・経済的構造がめまぐるしく変化したと共に、大きな物語や信じるべき主題が見あたらず、表現者の多くは表現の可能性を含めてあらゆる点で飽和状態と感じていただろう。特に若い世代の表現者達は、かつてのアーティスト像が示す特異な体験に基づいた奇異な人物ではなく、ごく普通の日常生活の一部として創造行為を位置づけ、日記を付けるように身のまわりに起こる些細な変化に伴う自身の感情や思考を様々なメディアを用いて作品へと昇華させている。生きている私の人生のリアル感を切り取った私小説的表現。その存在を最も象徴する現象が「女の子写真ブーム」だろう。このイノセントやナイーブさの売り文句は瞬く間に写真界を席巻し、美術界まで余波が及んだのは自明の理である。
 本展ではその潮流を俯瞰することができ、その一方で私小説の文脈に回収されない自律した表現が目を引いたのも事実である。写真という限定されたフォーマットだからこそ、比較対照が容易になり、その作者の写真家・アーティストとしての才能がつまびらかになる。写真は「世界と私」の間にあって対象と意識をとり結び、新たな関係を創り出すことが可能であり、美的機能・意味作用・記号としての働きも表現メディアとしての自律性に根ざしている。だからこそ時代意識や社会的背景の影響力が大きく不可欠な要素となり、その対象として何をセレクトするか、イメージを元のコンテクストから切り離して如何に自律させるのか、が作品の核心となる。「私」そのものを単に記録・記述するのではなく、「私」というものの感じ方、考え方のアプローチとして写真を用いることが最も重要であろう。端的に言えば独自の思想・コンセプトを持った視点・表現でなければならないと思う。
 かつて、ボードレールなどが巻き起こした「写真は芸術か科学か」「絵画より卑俗な芸術か」という論争は、「未来においては、文学に無知な者ではなく、写真を無視する者が無教養と呼ばれることになるだろう。」というモホリ・ナジの宣言どおり、現代では無効となっている。また、ベンヤミンがいう「アウラ」の概念における複製技法としての「本物と贋作」という領域も同様だろう。むしろ、その技術を取り扱う表現者の思想・視点が「アウラ」を獲得し、唯一無二な存在であるべきだ、と先人達は後生に道を譲ってくれている。
 映像の世紀と言われる時代に生きる我々は、実物よりもそうしたメディアを通じた映像にリアリティーを感得するようにさえなり、新たな視覚を獲得しているといっても過言ではなく、電子/デジタルというニューメディアの誕生の奔流と異変の中で、写真の変容が迫られているのかも知れない。
 そんな我々が未来に残すものは何なのだろうか……。

会期と内容
●写真新世紀10周年記念ー 大阪展「Futuring Power」
会期:4/23(水)〜5/25(日)
会場:大阪/caso
問い合わせ先:TEL/FAX06-6576-3633
URLhttp://www.cwo.zaq.ne.jp/caso/

  
学芸員レポート

 新学期・新年度が明けて2ヶ月あまりが経過した現在、関西地区ではビックイベントや大注目の展覧会などはあまりありませんでしたが(あったのかもしれませんが私の食指がめちゃめちゃ動くモノとは出会えませんでした。)、秋口の芸術・文化の書き入れ時に向けて、密やかな動きがあちこちで感じられます。
私も8月、10月、11月の企画準備に勤しんでいますが、最近は業務以外の諸々に追われている気がします。でも、どこまでが仕事でどこからがプライベートなのかが曖昧なこの業種。日々の食べ歩きを欠かさず名コックとの出会いを求めて関係構築に励むことでしたか、何かは築けないのも事実です。
「今日、耳ニチヨウ!」と全てをシャットアウトできる強靱な自分でいられる日は来るのでしょうか?
むしろそんな日が来たら終わりかも、、、などと私の人生とアートの機微?について考える今日この頃。
こんな大げさな命題を恥ずかしげもなく文字化(しかもネットワーク上に)してしまうなんて、疲れてるのかしら、、、。
けれどこれからも「止まったら死ぬ」というお笑い芸人の名台詞を地で行くことでしょう。

[きのした ちえこ]

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