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四国エリア 毛利義嗣
Report
高松市コミュニティ・カレッジ'98[芸術コース]
ルート・ディレクトリ――表現の「場」について
高松市コミュニティ・カレッジ'98
  4.是枝裕和(テレビディレクター 映画監督)
    テレビから映画へ、映画からテレビへ

 大学時代は映画館に通いづめだった僕は、卒業後、映像の仕事をしたくてテレビマンユニオンというプロダクションに入る。そこでテレビ番組のADとして1日も休みなく1年間働き続けたが、精神的に参ってしばらく会社に行けなくなる。テレビの現場で、自分の生活と表現をどう有機的に繋げながら生きていけるか、その接点を見つけられずに苦しんだのだ。僕は悩んだ末、仕事は仕事としてこなしつつ、自分の撮りたいものは別に撮ろうと割り切った。

 学生の時に見た印象的なテレビ番組に、一頭の牛を飼うことから全ての授業を進めていく、長野県伊那小学校1年春組のユニークな教育を取り上げたものがあった。僕は1年間ためたお金でビデオカメラを買い、この学校に通い始め、会社には内緒で3年間取材を続けた。子供たちには、また牛を飼って赤ちゃんを産むまで育てて乳絞りをしたいという希望があった。しかし、飼い始めた牛は出産するが赤ちゃんはすぐ死んでしまう。子牛の死を悲しみながらも念願の乳絞りは叶うという複雑な感情を抱えながら、子供たちは成長していった。この記録は後に深夜番組で放送されたが、これが僕の原点のようなものだ。初めて撮りたい対象を撮ったことにより、やろうとしていることの自分にとっての意味が少し見えてきた。

 テレビ番組ではロケ撮影の前に構成台本を作る。ところが、僕が取材ディレクターとして初めて手がけた番組のロケで台本に合わない状況が起こった。その時にいわゆるヤラセと呼ばれるやり方で、現実を自分の構成に当てはめてしまったことが、強くしこりとして残った。現実を台本にはめ込むのではなく、番組の枠をはみ出すものを撮れないとドキュメンタリーといえないのではないかという問いが生まれた。その後しばらくして撮ったのが『しかし…』である。始めは生活保護打ち切りをテーマにした番組を考えていたのだが、放送直前にある福祉高級官僚の自殺に出会い、彼の足跡を調べたことを契機に、それまで立てていた構成を一切捨てて制作を行なった。自ら望んで福祉の現場で積極的に活動してきた彼は当時水俣病問題に関わっていたが、上がっていくポストの中で自分をすり減らし、患者と官僚としての立場の狭間で苦悩した末に自殺を選んだ。官僚対善良な市民というよくある構図をはめ込むのは楽だが、そのことで逆に現実は見えなくなることが多い。ドキュメンタリーとは社会を変革するために作るのではなく、自己変革の過程を映像作品として提示するものではないだろうか。

 今のテレビのドキュメンタリーはほとんど最初の構成に沿った作りになっていて、見る前からテーマや主張が分かってしまう。撮っている人間の発見や驚きが番組に定着していかないのだ。ドキュメンタリーとして最初に作品が認められたのはロバート・フラハティという作家だが、彼はドキュメンタリーを祝祭であると考えていた。取材者と被取材者が共に協議しながら着地点を見つけて行くという方法をとったのだ。これに対してジョン・グリアスンという作家はドキュメンタリーとは人々を正しい方向へ導くためのプロパガンダだと考えた。今でも後者のように考える人は、特にジャーナリズムには多い。それが無意味だとは思わないが、僕自身は、社会変革より自己変革が先だと考えている。自己変革を伴わないプロパガンダなど、意味はない。フラハティの方法論は日本では小川紳介の映画に色濃く受け継がれているが、僕はそれをテレビという場所でできないかと考え、その試行錯誤として撮ったのが『彼のいない八月が』である。これは性交渉によるHIV感染を日本で初めてカミングアウトした男性を撮った90分程の作品だが、半分位はホームビデオで僕が撮影している。これは予算の問題ではなく、撮影者も被撮影者も視聴者もあたかもカメラがないように振舞うドキュメンタリーやドラマの暗黙のルールに疑問を持ったためだ。見る人の感動を誘ってカタルシスを与えるか、あることに出会わせて目覚めてもらうのか、つまり陶酔か覚醒か演出には二通りあるが、前者を採るとどんどんフィクションに近づいていく。日常の空間にカメラがあるという非日常を皆が現実と認識した上でドキュメンタリーを撮るべきではないか。フィクションの約束事からふとドキュメンタリーに移動する動きを捉えたいと思ったのである。

 そんなことを考えながら最初に撮った映画が『幻の光』だ。好評ではあったが、自分の演出に関していえば、劇映画ということで力が入りすぎた。というのも、クランクインの前に完全に構成を組み立ててしまい、現実の風景や役者さんを目の前にしても絵コンテから離れられなくなったのだ。それまでやってきたドキュメンタリーのリアリティとは逆に向かってしまった。僕はしばらくたってから、これは間違ったなと深く反省した。そこで、新しく撮った『ワンダフルライフ』では、映画にドキュメンタリーの方法論を持ち込んでいる。人が死んでから天国へ行くまでの7日間を描いたファンタジーだが、CGや合成を使ったものではない。この作品では役者さんだけでなく一般の人も登場する。ドキュメンタリーとフィクションの見えない境目を、一般の人が踏み越えたり、逆に役者さんがドキュメンタリーの側に移行したりする、その行き来の中での感情の揺れや表情の変化を撮ろうと思って作った映画である。(高松市美術館/毛利義嗣編)

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5.中山ダイスケ(アーティスト)
僕にとっての場所。――丸亀&東京&ニューヨーク

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