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北海道  吉崎元章
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exhibitionふるさとニッポン展―美術に探る“原”風景 1960年代から現代まで

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ふるさとニッポン―美術に探る“原”風景 1960年代から現代まで

 「ふるさとニッポン展」とは、あまりにストレートすぎてこちらが気恥ずかしくなるような展覧会タイトルである。カタカナでニッポンと書かれるとどうしても「がんばれ! ニッポン」を思い出してしまい、古き良き時代を懐かしみ、日本を賛美するような作品ばかりが並ぶのかと思いきや、そうではない。企画した学芸員の意図は、もっと深いところにあるようだ。展覧会の図録に掲載されている中村聖司学芸員のテキストは、多くの文献を引用しながら、イマージュ、原風景、日本などについて考察した力作である。うわべだけのふるさと論ではなく、日本の民族的特性と個々人の記憶のなかに潜む原風景とイマージュとの関係から、現代をとらえ直そうとするのがこの展覧会のねらいである。
 出品作家はそれぞれ趣きが異なる7人が選ばれ、コーナーを区切り順を追って展示されている。展示室の最初を飾る最初の向井潤吉と福田豊四郎の作品は、多くの人が思い描く「ふるさと」風景であろう。藁葺き屋根の民家が建つ、まるで「日本むかしばなし」にでも出てきそうなのどかな農村風景であり、現在の日本が失ってしまった自然と人間がもっと近いところにいたころの世界をノスタルジックに見せている。
 次の高坂和子と日高理恵子は、二人とも草木を淡々と描く。身近すぎてあまりに気にしていなかった風景、草むらの草花や、見上げた樹木の枝の重なりと真摯に向き合う描写を通して、日本人に共通する原風景を探っている。遠藤彰子は異なる時間が融合した幻のような街の風景を描き、村上善男は、伝統的な街並みの記憶を、凧絵やねぶたなどに通じる東北の力強さを見せながら、古文書や爆竹などを貼り付けて構成している。そして唯一写真の出品となった内藤正敏が映し出す世界は、恐山などの民衆信仰の場や都会の暗部である。学校で習う日本史のなかでほとんど脚光を浴びることがないが、人々の間で受け継がれてきた怪しく、妖艶で、バイタリティーをあふれる世界。それは間違いなく日本人の心に宿すものであろう。
 風景に大きく関わる植生が北海道では日本の他の地域と異なり、その異国的なところが観光客を楽しませる一因でもある。また、開拓から約130年と歴史の浅い北海道で、日本の風景や伝統的な精神を見つめ直そうとする展覧会は、冒険であっただろう。しかし、北海道の若い学芸員が企画した本展は、逆にそれらに対する一種の憧れの色を強く出すことによって、日本人に共通する「なつかしさ」を感じさせるのに成功している。
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会場:北海道立旭川美術館
   旭川市常磐公園内
会期:1999年9月18日(土)〜10月24日(日)
   10:00〜17:00、休館日=毎週月曜日、10/12
入場料:一般930円/高大生570円/小中生360円
問い合わせ先:0166-25-2577
アーティスト:向井潤吉、福田豊四郎、高坂和子、村上善男、内藤正敏、遠藤彰子、日高理恵子

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exhibition洞爺村国際彫刻ビエンナーレ'99

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洞爺村国際彫刻ビエンナーレ'99
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洞爺村国際彫刻ビエンナーレ'99
展示風景

 この公募展について以前にも作品募集している時に紹介したことがあるが、入選作品展がいよいよはじまった。人口2000人ほどの洞爺村と村民の有志が中心となり運営されているこの公募展がなかなかにおもしろい。彫刻の公募展は国内だけでも1960年代からいくつも開催されているが、ここでは「手の中の宇宙」と題し、20×30×40cm以内という小さな作品に限定しているのが特徴である。彫刻コンクールは多くが野外で行われることもあり、作品が巨大化し物量主義に陥りやすいという側面ももっている。ここでは、サイズを限定いることによって、創造の原点に立ち返った作家それぞれの表現の違いが際だってみえてくる。
 4回目となる今回は、世界65ヶ国956点のなかから選ばれた53点が展示されている。海外からの応募が44%を占め、応募点数が1993年の初回から540点、726点、882点と回を増すごとに増えているのでもわかるように着実に世界的な知名度を上げているようである。それは、小品でありながら大賞300万円という賞金の魅力だけではなく、買い取られる入賞作品のほかにも村民が積極的に入選作品も購入し村内に留めていること、そして毎回つくられる美しい図録など、村民や関係者の熱意が大いに関係しているのだろう。村内に残る作品をもとに美術館を建設する構想もあり、またこの美術館のために砂澤ビッキの作品や遺品もすでに収蔵済みという。多くの美術館が建物の構想ができてから作品収集に乗り出すことが多いのと比べ、作品が先にあることはひとつの望ましい姿だろう。
 現在、入選作品展は洞爺村総合センターの一室を使って行われている。普段は結婚式や講演会など多目的に用いられている部屋の壁全面をテント布で覆って窓を塞ぎ、それなりの会場とはしているが、やはりはやく美術館が完成し専用の展示室で展覧会行われることが望まれる。
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会場:洞爺村総合センター
   北海道虻田郡洞爺村字洞爺町132
会期:1999年9月19日(日)〜10月17日(日)
入場料:無料
問い合わせ先:実行委員会事務局 0142-82-5111

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report学芸員レポート[札幌・芸術の森美術館]

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 最近、終戦間もない頃の札幌の美術に興味を持ち、いろいろと調べはじめています。特に関心があるのは、中島公園にあったという中根光一邸です。これまで札幌の画家の回顧展を何度か企画し調査してきたなかで、中根光一邸のことが幾人もの作家の口から出てくるのですが、くわしく言及した資料がほとんどなく、気になっていた人物であり場所でした。
 中根光一は、服部紙店札幌支店長を務めた父の代から中島公園に大きな屋敷を構えており、東京からきた多く画家を逗留させています。児島善三郎も1946年と47年に長期にわたり滞在し、中島公園などを描いた絵画のほか、ここからの多くの書簡を残しています。一方、戦禍を免れた札幌には、戦後間もない頃、東京などから多くの優れた画家や彫刻家が身を寄せていました。物資が乏しいながらも、それらの作家と地元の芸術家との交流によって、札幌の美術が大きな刺激を受けた時期です。1945年末には疎開中の画家と新しい活動の場を求める北海道の芸術家が協力し、全道美術協会(全道展)が結成されました。1925年から続く北海道美術協会(道展)もこれに刺激され再建され、現在に続く戦後北海道の美術界の地図の主だった部分が形づくられるのです。この全道展を創立する動きのなかで、作家達が集まり会合が持たれたのも中根光一邸でした。
 さらに、1946年には屋敷を「札幌洋画研究所」として開放しています。松島正幸、三雲祥之助、小川マリ、田中忠雄、菊地精二など疎開中の画家が講師となり、主に市内の若い画家がそこに通っています。それは、進駐軍に屋敷を接収されるのを免れるためとも言われていますが、現在北海道を代表するような画家がそこで学んでいます。この研究所は、疎開画家たちが東京に戻ることで、自然消滅的になくなったようです。そして、中根光一もその後、本業が振るわなくなり、屋敷を手放し、東京に移って亡くなっています。名高かったコレクションも分散し、まだその所在はつかみ切れていません。
 すでに半世紀ほどが過ぎ、この中根光一のことについて知る画家も少なくなっています。戦後の札幌の美術の出発点で重要な役割を果たした中根光一邸を、関係者の証言が得られるうちに調べ上げようとするのが、現在の研究テーマです。すでに数人の画家から話を伺い、この時期に描かれた作品を探しているところです。近い将来、この成果をもとに展覧会が組み立てられればいいのですが。

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