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岡山  柳沢秀行
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report学芸員レポート[岡山県立美術館]

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最近、様々な視点から様々な人が公私様々な局面で「美術館」について発言している。実は私も1996年2月『アートラビリンス2 時の記憶』という現代美術の展覧会を実施した時、その図録に書きとめた論考がある。
 もっともこの図録1000部が会期中に完売してしまい、人目に触れることが、すくない。若干手直ししたいところもあるが、前記展覧会リポートに関わる私の考えの多くが書きとめてあるので、ここで再録させていただいて、今月の学芸員レポートにさせていただきたい。

美術館も変わらなきゃん!でも、まてよ

[はじめに]

 美術館について考えている。なによりその根本となっているのは、現在の日本の社会の中で、美術館という装置はいかに機能しているのか、あるいは機能していないのか、ならばその活性化のためには何をすれば良いのか、そして美術館が抱えている潜在能力とは何なのかという問いかけである。
 むろんこの問いかけは、美術館を他の様々な対象物のなかに相対化した観点のもとで行われる。それは作品発表そして運営形態という点で、画廊あるいは近年急速にアートに関わる場となった街頭や公園、学校等を対象とし、また国や地方自治体の公共資金によって運営されている美術館は、受益者へのサービスという点から、他の文化施設、あるいは道路や橋といったインフラをも対象としてのことである。
 すでに、この問いかけと問題解決のための実践は、美術館でも様々な形態をとってパフォーマンスされている。それは作品展示、それに付随する様々なイベント、著述活動、あるいは講演会やワークショップ、ギャラリートークなどの教育活動(それはボランティアなどへの教育活動や、学校関係者との折衝など実に細やかな点にまで及ぶ)、そして様々なアウトリーチを含めた広報活動などである。
 こうした状況を踏まえれば、当然、展覧会もまた美術館活動の中核的で特権的な位置に安住することなく、美術館のなすパフォーマンスの一形態として、その他の様々な活動のなかに相対化されるべきであろう。むろんその波及力の大きさや速効性を認めたうえで。
 さて今回の試みは、こうした問いかけと態度をもって、展覧会という局面から美術館についての考察を行なう試みでもある。
 それゆえ、まずなにより岡山県立美術館という具体的な場について、その建築・設備のハード面、そして地域社会における機能という、場の特性についての問題意識を持ち得るアーティスト、そしてそのためのディスカッションを十分に共有できるアーティストとの共同作業を求めた。そしてこうしたアーティスト達とのコミュニケーションを通じて、今回、美術館が街へと発信出来るメッセージのひとつとして「時の記憶」を選択した。
 その内容の詳細については各作家の解説に譲り、またなによりこの展覧会の現場に立ち会うことを願いたい。
 この論稿では、冒頭に掲げた問いかけをもとにした、ア−トに関わる場の特性について、いくつかの考察を書きとめておく。

[街・日常の生活空間に存在するアート]

 近年盛んになった美術館や画廊という従来の作品発表の場を抜け出したアートについて考えてみる。
 それはしばしばパブリックアートという言葉で総括される。しかしこの言葉についての共通認識は必ずしも確定していないため、ここでは「日常の生活空間に存在するアート」に相応する活動について考えてみる。それゆえ宇部、須磨などがリードしてきた野外彫刻展は対象外とする。なぜならこうした展覧会および作品設置は、作品を美術館の外へと連れ出しはしたが、改めて彫刻公園的なフレームに囲いこんでいるため、日常生活との距離としては、美術館とそう変わらないと判断するからである。ここで念頭にあるのは、特に都市部を中心に街頭に恒久的に設置された彫刻や、あるいは短期間仮設のインスタレーション、さらにはアートの位相を幅広く拡張したイベント性の強い作品である。
 まず「日常の生活空間に存在するアート」は、ともすれば規制が多く窮屈な美術館を抜け出した自由な活動であるかのような印象を与えるが、いかがなものだろうか。実際にはクリアーすべき問題は山積している。
 まず恒久的であれ仮設であれ作品を設置しようとすれば、その土地の所有者との折衝が必要になる。むろん道路なら管轄する行政によって様々な法的規制がかせられるのは言うまでもない。さらにイベント的な活動も含めて、例えばデパート等の商業スペースなら、商品イメージを損ね、営利行為の妨げとなるようなら即座に拒絶されるだろうし、住宅地ならば地域住民の感情を納得させなくてはならない。つまりアートの側(作家の側)の一方的自己実現として自由に作品を展開することは出来ないのである。必ず納得させなくてはならない、その場に関る当事者が存在する。
 また設置型の作品の場合、不特定多数にさらされることによって、メンテナンスの問題が重要な課題となる。島根県で「ゲゲゲの鬼太郎」の彫刻が頻繁に盗まれた例は記憶に新しい。また最悪の場合、悪意をもった他者により作品を破壊されることすらある。
 そしてもう一点、ビルや街路の一角など都市空間に恒久設置される作品に関して述べておく。それは依頼主である行政や企業の側の発想で、美術作品は建築や道路の付属物的に扱われてきたことである。つまり設置される空間についても、また予算上の配置にしても、あくまで建築の外延として限られた予算とスペースに予定調和的にはめ込むことが可能な作品が求められてきた。また行政、企業の論理からすれば作品に共感する人と反発する人が半々になるよりは、だれ一人共感しなくとも最大公約数が「悪いとはしない」作品を求めるものである。近年では建築とともに「はじめに作品ありき」の街づくりのケースも増えたが、恒久設置型の作品について、この問題は今後も長く解消されぬまま引き継がれることであろう。
 また「日常の生活空間に存在するアート」に関しては、1950年代の平和や希望を謳歌した彫刻や壁画が戦後の混乱する現実を隠蔽しかねる機能を果たしたこと、あるいは裸婦像が女性蔑視問題と絡んで問題となるなど、作品が表象するもの、あるいは作品が果たす機能についての問題も大きい。ただこの論稿では場の特性という点に絞ってのことゆえ、この問題や、またなにより問われるべき造型的な完成度という点にまで踏み込むことは控えることとする。
 こうして簡単な整理を行ったが「日常の生活空間に存在するアート」についてもクリアーすべき問題が数多いのは明らかであろう。さらに、いったいどのような苦情やトラブルが、どのような人間から持ち出されるか綿密に想定することは難しい。しばしば突発的な問題にさらされることを思えば、ある意味で美術館の方が規制が顕在化しているだけに事前の対処を成しやすいと言えるのではないだろうか。では負の面ばかりではなく「日常の生活空間に存在するアート」が抱える大きな魅力に目を移そう。
 なにより特権的な場所に納まったアートは、一般人が有り難がりはしても、あえて自らその距離を縮めるべく近寄ってはこない。それゆえ日常の生活空間にアートが存在することは、ダイレクトに人々に陶酔や驚き、そしてコミュニケーションを生み出すこととなる。
 そしてなによりも大切なことは、先述した様々な阻害要因――法的規制、営利論理、住民感情、etc.――は、逆にその要因を取り去るための説得、つまり当事者との直接のコミュニケーションによって、アート無関心層へ対する極めて有効なアウトリーチ作業となる。結果として作家側が提示した作品設置・実施のドリームプランを実現するに至るかは定かではないが、アートに関わる一般人の意識の土壌を豊かにするためにも、この摩擦は逆利用すべき大きな可能性であろう。
 それにこうしたコミュニケ−ションも含め、作品実現に向けての活動は、土地の歴史、地理的条件、また人間の関係、あるいは利権、法規制など、その土地が潜在的に抱える様々な要因を顕在化させることとなる。言いかえればアートがその「場」を考察するための極めて有用なツールとなるのである。そして顕在化された要因が、人々の記憶を呼び起こしたり、その場の活性化につながるアクションを引き起こしたりと様々な波及効果をもたらすこともある。
 逆に住民を納得させることなくトップダウン式に突如として彫刻作品を設置し、その作品が住民の反発を受けたからといって、すかさず撤去するような事態が起きたとしたら、それはなんともお粗末なことである。設置主体者は、設置する以前に住民のコンセンサスを得るべきであるし、また自信をもって設置したのなら、その旨を住民に充分納得させる作業に労力をつぎ込むべきである。そのぐらいの摩擦は当然起こることなのである。
 自戒も込めてかさねて述べる。アートの側(表現者もマネジメントする者も含め)の自己実現として、作品発表の場を物理的に均質でストイックになりがちな美術館や画廊という場から、街頭や学校という表情豊かな空間に置き換えるだけではなく、その土地の特質、関係者とのコミュニケーションといった位相にまで踏み込めれば、その成果は計りしれない。ただ少なくともここで整理した程度の摩擦は覚悟すべきで、そうした摩擦に疲れ果て尻すぼみするぐらいなら、うかつに街など出ないほうがいい。より多数の人間が関わりをもつことの意味(摩擦と成果)をふまえ、社会に直接対峙する責任を考え、またそれゆえの大きな実りを思わねばならない。

[美術館・保存設備としての美術館]

 ではこうした「日常の生活空間に存在するアート」に比して美術館はどのような特性をもっているのだろうか。
 もっとも現在、日本における美術館といっても、その存在形態も多様であることは今更述べるまでもないだろう。収集・保存・展示・研究を活動の基本に据え、主として名品を中心に過去の美術動向を対象としながら、作品礼拝のための神殿的性格を強める美術館。一方、現代の動向をリアルタイムで積極的に取り込んで行く美術館。こうした幅の中で、現在の日本の大多数を占める、収集・保存・展示・研究を活動の基本に据え過去の美術動向を対象とする美術館を基点として話を進める。
 なによりこうした性格の美術館にとっては作品保存が大きな課題となるが、まさにこの課題こそが美術館の活動に様々な制約をもたらしている。まず強調すべきは、保存と展示はまっこうから対立矛盾する論理を抱えることである。
 照明を消し、温湿度を完全管理し、限られた者しか立ち入らない収蔵庫こそ作品を保存するためにはベストな場である。それに比べ展示場は、いかに空気のコンディション管理をしても、やはり温湿度を乱す外気の進入を完全にシャットアウトすることは出来ない。また作品には光を当てざるを得ない。それに虫やカビなどの菌、またなにより物理的損壊を与えかねない来館者という存在にもさらされる。つまり展示することは作品を劣化させることと同義と言ってもよいのである。
 それゆえ保存に適した環境を維持しようとする意志と、作品鑑賞のための良好な環境を実現しようとする意志との妥協点として、展示のための照度設定があり、作品と来館者を隔てるガラスケースや足元のパーテーションがあり、そして展示場内の様々な規制があるのである。また日本画は一作品年間一カ月ほどしか展示せず、残りの十一カ月は収蔵庫にしまわれる。そのため常設展示と銘打つ場合でも、実際は作品保存のために毎月展示替えが行われているのである。
 もう一点、作品保存施設としての美術館という観点からすれば、美術館に作品が収蔵されるということは、作品が半永久的に保存されるというあたりまえの結論が導きだされる。それゆえ自ずと収蔵の際には、作品の質が、多大なコストと労力をかけてまでも保存すべきものなのかという厳格なチェックが入る。それゆえに美術館は否応なく権威的な場所にならざるをえないである。
 このように保存という責務を負った美術館は、作品保護のための環境維持、そして収蔵に関わる権威化という二つの面によって、否応なく気難しく、存分には来館者へのサービスを行き届かせることができない場所となる。それゆえ何もしなければ、自ずと日常の生活空間から距離を取った特権的な場となってゆくのである。

[美術館・美術館もかわらなきゃ]

 もっともこうした作品保存という課題を背負った美術館でも、コンテンポラリ−・ア−トを収蔵あるいは展覧会として扱い、また近年は教育普及活動の一環として創作、体験を主体としたワ−クショップ活動に取り組む美術館も多い。
 もっとも細心の注意をはらって作品保護のための環境を維持している空間に、素材が多様化したコンテンポラリー作品を持ち込むことは、温度、湿度、大気の酸・アルカリの濃度、汚染度、虫やその卵など、いくつもの細目にわたって環境を劣化させる要因を抱えた物質を持ち込むことにもなる。またコンテンポラリー・アートは音響や匂いを発する作品があったり、さらに大規模なインスタレーションの場合には、誘導灯や緊急時の非難路の確保という消防法上の問題に抵触し、また車椅子や高齢者への配慮から段差をなくしたバリア・フリー空間の保全という問題もある。
 誤解のないように強調するが、だからと言って、こうした美術館ではコンテンポラリー作品を、たとえ一時的な企画展でも扱うべきではないと主張するのではない(もしそうなら今回のような展覧会はやらない)。
 コンテンポラリー・アートを美術館が取り上げることは大切なことである。それは同時代のアートシーンへの責任という点から。そしてコンテンポラリー・アートの活力を引き込むことで美術館が人々の日常の生活空間や意識との隔たりを縮め、また美術館が自らの商品イメージを払拭するために。そして絵画、彫刻といった完結した物質の中にアーティストの高い技術や深い思索が集約されているといった段階から、アートの位相が急速に拡張する中で、依然として保守的なハイ・アートの世界に自閉する者達への揺さぶりをかける有効な手段として。
 ただ明言すべきは、作品の質にかかわる価値判断を抜きにしても、すでにここに挙げただけの規制が、作品保存の課題を背負わされた美術館に存在することである。
 それゆえ理想的な結論を先述すれば、コンテンポラリ−・ア−トと存分に取り組み、また多彩なワ−クショップ活動を展開しようとするなら、水戸芸術館のようにコンテンポラリー作品を一時的な企画展として扱うことに徹するなり、世田谷区美術館や宮城県美術館のようにワークショップ専用のハードを展示場から切り離して設置するべきである。つまり美術館の「場」の特性を形成する主要因たる「作品保存」という足かせを取りはずすために、実質的にまったく新しいハ−ドを立ちあげることがベストである。運営の方針は、その土台の上に来る問題なのではないだろうか。
 もちろん、特に公共資金によって運営される美術館の場合、評価の定まらない同時代作品を積極的に取り上げるには運営上で様々な困難が有り、どうしても腰が重たくなるというのが偽わらざる実情であろう。まただからこそ美術館がその商品イメ−ジを変える有効な手段として現代美術を取り上げることもあろう。
 しかしながら、もし仮に積極的に現代美術を取り上げる姿勢が整ったとしても、水戸芸術館のように相応の運営システムやハードを整えることで、これまでの美術館から大きく変化を遂げた美術館ならともかく、従来のように保存施設としての性格を引きずったままでは、その活動に大きな制約が生じるのは繰り返し述べたとおりである。このことを敷衍してゆけば従来型の絵画や彫刻、とくに古書画を扱い名品中心の神殿的性格の強い美術館と、同時代の動向をリアルタイムで積極的に取り込んで行く美術館とは同一のハード上で共存するのは難しいことに考えが至る。
 このようにコンテンポラリ−・ア−トと美術館の関係を考えるなら、日本の美術館の大半がすでに無数の作品を抱え、その保存の責務を負い、そのために性格づけられたハードを抱えている現状、そしてもちろん新しいハードを建設するなど夢物語にも近いのが現状では、美術館人、そしてア−ティスト双方ともにこうした美術館には作品保存に由来する大きな制約が存在するという現実を、前提としたうえで、コンテンポラリ−・ア−トと保存の課題を背負った美術館とのベストな関係を考え、実践していかねばならないだろう。

[美術館・抱えた宝か?どう活かすんだ?何が問題か]

 さてでは無数の作品を抱え、その保存の責務を背負わされた大半の日本の美術館はどうするのか。どう変わればよいのか。答えは明らかである。その抱え込んだ作品を、有効な資産として活かすしかない。
 そのために開拓すべき領域は二つある。一つは所蔵作品を来館者にとってどれほど意義深いものにするか、そのための教育活動の実施である。もう一つが作品に依存するだけではなく、まずは美術館にまで客を引き寄せてくる様々なアウトリーチ活動である。しかし問題は多い。ここではそのスケッチを行う。
 まず後者のアウトリーチから述べる。これは従来の日本の美術館では、宣伝、広報活動という概念にはめ込まれた作業であるが、たんにポスター、チラシ、あるいはマスメディアを媒体とした宣伝活動というだけではく、いかに美術館来館者の中から再来訪者(リピーター)を増やすのか、あるいはアートに対する無関心層に働きかけ、そうした人々を美術館へと連れ込むのかという課題のもとに、より柔軟で綿密な作業を要請する概念がアウトリーチだといえる。すなわちアウトリーチとは「来ない者は来ない」ではなくて、「来ない者をどうやって連れてくるか」の実践である。
 これに関しては、近年特に先進的なアメリカの美術館の事例についての情報の増加、企業の経済活動をモデルに利用者のニーズの把握などマーケティングリサーチの必要性についての認識の高まり、インターネットなど情報ツールの高度な発達により美術館からの情報発信の様態の急激な変化など状況は追い風と言える。
 それゆえこの点に関しては、より綿密な来館者(潜在的なものも含めて)に対するリサーチと、その対応策の実施に対し、人的、予算的な対応をクリアーする算段さえ成せば(問題はここなのだ。困った!)、今のところ取り敢えずは、先進的な先例をもとに実施すべき具体的な施策は明らかであろう。
 もっとも、来館者のニーズに応えるために、収集作品や展示活動そのものの内容までを、全面的に来館者のニーズにこびてはならないのは当然だろう。客層は幅広い。
 さて大きな問題を抱えるのは美術館での教育活動である。まず現在「美術館で行われる教育活動」という名のもとに、創作活動主体のワークショップと、展示作品に関する教育活動が一括されがちだが、この両者は実施の内容も目的も明らかに異なる。
 まず美術館機能に多様性を持たせることもあって近年盛んとなった創作、体験活動主体のワークショップは、先述のようなハード面での保存機能との兼ね合いがある。またその実施のノウハウ、何を狙いとしているのか等、様々な問題が暗中摸索の状態だと言えよう。それに保存展示型の美術館で行う必然性という点からも検討すべき問題であり、実際に切り離しても実施可能なのだから、ここでは深入りしない。
 では展示作品に関する教育活動について述べる。なにより問題なのは、学芸員やボランティア等のギャラリートーク、あるいはワークシート、そして展示場に配した解説キャプションなど全てにわたる問題として、作品を美術品としての普遍的な美意識や鑑賞価値という面から語るのか、それとも美術の歴史の現物資料として語るのかという問題である。むろん、これは教育のみならず、美術館における作品展示と直結した問題である。
 ここで例として当館を挙げてみよう。岡山県立美術館は各々1200平方mの面積を有する常設展示場と企画展示場を持つ。それゆえよほど大規模な企画展を開催しないかぎり、つねに所蔵作品による百点を越える常設展示を行う。
 その展示内容は「常設展岡山の美術」と銘打つように、岡山県出身、あるいは岡山県で長期に制作を行ったなど「岡山ゆかりの作家」について所蔵や寄託品による展示を行っている。具体的な作家としては古書画部門として雪舟、宮本武蔵、浦上玉堂といった岡山出身作家、また雪舟に関係して玉澗などの中国人作家、あるいは雪舟の弟子筋や雪村などであり、重要文化財二点を含んだこのコレクションは都道府県単位の美術館としては全国でも有数なものであろう。また近代においても日本画の小野竹喬、池田遥邨、また油彩画は原田直次郎、松岡寿、原撫松、鹿子木孟郎、満谷国四郎、正宗得三郎、中山巍、坂田一男、国吉康雄、岡本唐貴など日本近代美術史上重要な作家を多数網羅している。また工芸部門は大窯業地・備前を抱え、その人間国宝達の作品を中心に陶磁、金工、木工、染色を展示している。
 このラインナップを見ても、岡山県立美術館が過去の歴史的な活動を見せる美術館としての性格を強めざるを得ないのは明らかだろう。実際これらの作品は「古書画・日本画」「洋画」「工芸」のパートにわけ作家の生年順に展示される。つまり、あたかも存在するかのような岡山県の美術史を構成するかのように、時間軸にそった歴史展示を基本的に採用しているのである。
 けれどもこれだけの著名作家を輩出しただけに、各作家多くて二、三点、毎月展示替えする古書画・日本画の場合はせいぜい一点展示されるか否かという状態である。おのずと作品の質が高いもの、つまりは普遍的な鑑賞価値が高いとされるものが展示され、歴史資料的な作品はなかなか出番がまわってこない。 
 それゆえ例えば近代作家で青、壮、老年の各時代の作品を所蔵している場合など、いったいどの作品をその作家を示す作品として展示するかというジレンマに陥るし、美術運動史上では重要な活動を果たしながら作品の質が収蔵、展示するに至らない作家(あるいは作品の質が低くても、美術運動史のうえで重要だから展示されるという場合もあるだろう)も多い。それになにより作品が存在しないため展示場にならべられない作家もいる。
 このように当館の常設展示は、作品を美術の歴史の現物資料として語るような外観を呈し、来館者に対してここに岡山に関わる美術の歴史が存在するような認識を与える。しかしながら、局所的な作品選択の上では普遍的な美意識や鑑賞価値という面が優先されているのである。
 もう一点述べておけば、雪舟以来五百年にもわたる制作時間の幅をもった作品を一堂に会すると、それぞれのネィティヴプレイスが種々雑多なものであることも承知しておかねばならない。それは作品本来の制作目的(禅僧がその思想を具現化するオブジェとして描いた、大名がお抱え絵師に観賞用に描かせた、近代の画家が展覧会出品用に制作したetc.)、形状(軸、屏風、襖、額装)、展示空間(寺院、城郭、商家、展覧会、個人住宅etc.)、そして作品が果たした機能などが様々に異なりながら、そうした本来の特性から引き離され美術品という一つの概念に括られて並べられているのである。それゆえに各々のネィティヴプレイスや、作品が機能していたコンテクストを喚起する作業も美術館にかせられた使命であろう。
 当館を例にしてこれだけの状況を列挙したが、「歴史展示を基本とした」「美術館」では、どこも同じ問題を抱えているだろう。それはなにより「美」を求めたオブジェであり、歴史資料でもある美術品の宿命でもあるが、そうしたものを制作年順、あるいは作家の生年順など、まるで自明に存在している歴史を再構成するかのような展示に画一化することはいかがなものだろうか。すくなくともこうした展示思想は、モノの美しさを引き出し合うような取り合わせを美術館でパフォ−マンスすることを困難にしている。また教育そして行政サ−ビスの名のもとに行われる作品鑑賞への働きかけにとっては様々な問題を生みだしている。こうした展示思想が生み出す創造と弊害を考えれば、こうした教育活動の内容に関してはもう少し考慮すべき可能性はあるのではないか。
 ではその様々な問題を書き連ねるために、作品を前にした観客へと話を戻そう。
 まず少なくとも一般の観客の多くは作品を良く見ていないのが現状であり、それゆえより詳細に作品を見る意識づけを行うことに問題はないだろう。多くの観客は描かれたイメージを大まかには見ても、そのディテールはたいてい見飛ばし、また作品がどのようなマチエールによって、どのような技術をもって描かれているのかには注意はしない。それゆえそうしたレベルの観客に対し、通常なら見落とすような画面の中にある情報を引き出せるように導いたり、それを直接指摘するまでは良いであろう。
 しかしそうして引き出された情報がその連関においてなす象徴性や意味、あるいは鑑賞者へ働きかける機能(戦争記録画やプロレタリア絵画)に対して、美術館教育という名のもとに絶対解を与えることはできるのだろうか。
 むろん直截にそれを要請する作品もあれば、まったく要請しない作品もある。では、そうした差異をいかに観客に伝えることができるのだろうか。
 それに作品を美術品として扱うのか、歴史にたいする視覚資料として扱うのかと言う根本問題にも関わるのだが、感覚的な鑑賞を要求する抽象絵画などの場合、その受容に関して各人に大きな差異があるだろうから、作品へのコンセントレ−ションを高める働きかけはしても、その先に、どのような働きかけをしたらよいのであろうか。
 また作品の制作されたコンテクストを喚起するような働きかけは、ともすれば作家の人生の紆余曲折にはめ込んで作品を解釈する狭路へと誘いこみかねないのではないか。
 またなにより、作品は作者がこめた高い技術や深い思索を読み取るためにのみ存在するオブジェなのか、それとも一度作者の手を離れた作品は、どのような多義的な解釈にさらされることをも許容し、あるいは作者の存在など無視して第三者同志のコミュニケ−ションのための道具として使われてもよしとする断念を持たねばならないのか。この課題はそのまま芸術学研究の課題でもあるだろう。
 思いつくままに顕在化した問題を挙げただけでも、これだけの数がある。
 よく言われる「学芸員などの専門家の使う言葉は難しい。だから一般にわかりやすい言葉を使おう」というのは、あくまで観客を前にした際の技術論であろう。確かに情報伝達(何時、誰が描いたか。描かれた物は何か。など)と、クリッティックの言葉が混在するなど、この技術に問題の多い専門家や、その手になる解説文も多い。当然この技術論についても議論されるべきだが、その際に、ここに掲げた諸点が、より根本的な問題として、もう少し取りあげられても良いのではないだろうか。
 近年急速に、美術館活動における焦点として教育普及が取り上げられてきた。けれども現状としては、全国各地の美術館で個々人がそのノウハウで対処し、また各々の事例をサンプルとして提示し合っている段階である。もっともそのサンプルの見せ合いも、鑑賞や体験活動を主体としたワ−クショップ活動と、展示物にたいする教育活動とが混在しているのが実情ではないだろうか。
 美術館自体の見直し、活性化に対する意識が高まった現状のなか「美術館でのサ−ビスの充実」を唱えることは、多くの賛同を得ることとなろう。しかしの実施するサ−ビスを具体化する段階において、これだけの問題があることは認識すべきである。そしてなにより、こうした美術館から来館者へと差伸べたリ−ドの手は、それがワ−クショップ活動であろうと、展示物に対する教育活動であろうと、そこにはミス・リ−ドの可能性も大きく想定されるのである。だからと言って萎縮し、あるいは保守化してはならないが、なによりこうした時だからこそ、改めて足元を整理しておくべきだと思う。

[モノの幸せ。私達の幸せ。時の記憶]

 作品(あるいはモノ)が一番美しく見えるのは、それを愛で、かわいがる人間が、あれやこれやと考えながら、それを飾り、あるいは取り合わせた時だろう。そんな時、飾る人も幸せなら、作品もきっと幸せだろう。あるいはその人がまた誰かを喜ばせようと、そのモノを飾り、もてなし、共に喜んでくれる時、作品はやはり美しい表情を見せるだろう。つまり作品は、ある個人との強烈な結びつきを核に、その人間から顔が見えている限られた人間の繋がりの中で愛でられるのが一番の美しい表情を見せると思う。
 では、こうした個人コレクタ−の手にゆだねられた作品に比して、美術館に置かれた作品はどうなのだろうか。 
 なにより美術館は顔の見えない不特定多数のパブリックに作品を開き、またさらに半永久という遠い未来の鑑賞者をも想定する。それゆえ繰り返し述べるように、今日の日本の大半の美術館は、作品を保護し半永久的に保存するという論理を優先し、作品を存分に美しく見せることには自己規制をかけざるをえないデメリットを抱える。しかし保存か展示かという選択の中で、保存を選択したのだから、これはいたしかたのないところだろう。
 作品が、保存という観点からすればその存在を危うくしても、限られた小数の人達に対しその美しさを存分に開示する事と、その美しさを存分に開示することはかなわねど、これからの長い時の経緯も含めてより多くの人々に少しずつでも何らかの働きかけをしてゆく事と、その各々を定量化し測定し、比較することは出来ない。それゆえ作品にとっても、そのどちらが幸せなことなのかはわからないのである。
 もっとも、日本の美術館はたかだか100年の歴史しか持たない。もし社会体勢そのものが変化、あるいは崩壊してしまったら、美術館という存在そのものが崩壊することもけして有り得ぬことではない。そこまで考えなくても、このまま日本の社会に美術館が根付かずに終ってしまう可能性はなきにしもあらず、である。そう思う時、半永久と言う時を想定することは一つの神話ではないだろうか。
 また、これほど急速にア−トの位相が拡張してゆく中では、すでにア−トが物質としてその姿を留めぬ作品も平然と見受けられる。このア−トの位相の拡張には、美術館がどれほど運営上のソフト、建築というハードにおいて、そのフレ−ムを拡張して行っても、たやすく追い付くことはできないだろう。なにより物質として存在しないなら、美術館はそれにどうやって、どこまで付合えるのかという問題が浮上する。
 美術館は、今からおよそ100年前この国にもたらされたMUSEUMという概念、システムの一形態として出発した。そして特にこの30年ほどは地方公共団体の手により無数の美術館が建設され、今ここに至っては私達の日常にとって美術館はまったく訳のわからない異物ではなくなった。けれどいまだ大多数の人間にとっては、日常の生活にとってあたりまえの存在でも、無くてはならないものでも、誤解なくその存在を受け止めている場でもない。
 危機感と共に、そして大きな希望をもって足元を見直せば、こうした保存展示型の美術館は、そのありようを抜本的に変えなくとも、まだそのフレ−ムの中で埋めるべき空白は多い。また「良い事」や「常識」と思っていても、それが実際そうであるかは疑わしい点も多い。
 こうして、あたりまえのことをあたりまえのように問題を書き連ねてきた。なによりこうした問題の書き連ねは、今の日本の美術館の現状と、近年の美術館変革の動きによって、美術館が背負おうとする課題とのギャップが、さしたる議論も、問題の整理もなされぬままである事への危惧をもとに、美術館とは保存と展示、現在と未来など、様々なバランスのうえに成り立つ場であり、それゆえに生じる場の特性について自己点検をし、そしてその場の特性を積極的に表明することから始めたかったからである。そしてその問題への解答のひとつとして今回の展覧会を提出するが、解答はまだまだたくさんあるだろう。まだ見えぬ解答を見出すためにも、まずは見えている可能性を実践してゆこう。

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