logo
TOPICS
...
..
 

PO+KU ART村上隆 講演 PO+KU ARTレボリューション

..

日本画からアニメに通じる世界観

 『さよなら銀河鉄道999』という劇場用アニメーションの中に大変素晴らしい場面があり、僕はそれを自分の言語にまで引き寄せて表現したいと思ってきました。金田伊功(かなだよしのり)さんというアニメーターは、1970年代後半から80年代前半に一世を風靡したスペシャルエフェクトアニメーターの天才です。映画『スターウォーズ』でいったら特殊撮影監督みたいなポジションで、オタクのフィールドでは非常に有名になりましたが、僕は、この人が今のアニメーションの絵のエポック・メーキングなところをつくった非常に重要なアーティストだと思っています。しかし、日本の美術シーンや美術批評界、もちろんアニメ評論の世界でも、この人をどう評価したらいいのかわからないらしく、評価はほとんどない。言葉で表現するとしたら、非常に奇妙な動きとか、パッパッパッと動く軽快なリズム感とか、そういう言葉でしか彼のドローイングからくるアニメートを消化できていません。
 彼は16歳からアニメ業界にいる生粋のアニメーターなので、ほとんど美術教育なんて何も受けていないと思いますが、実は日本の美術史の中で重要とされている作品にかなり近しくなっている。日本と西洋の美術の流れで決定的に違うのは、日本の美術ではエフェクト(自然現象)に対する興味が非常に強いのです。日本人がレオナルド・ダ・ヴィンチのドローイングに親しめるのは、多分、彼が波とか水流とかをスケッチしているからだと思います。日本人はそういう自然現象を観察し、自分の身の内に取り込んで、それをいかに自分なりに解釈するのかというのが非常に好きな民族なのです。例えば、中国の南画を基本に日本の美術が展開していた時代の水墨画にしても、西洋美術の影響を受けてしまった今の日本の現代美術に近いかも知れませんが、画題の中心が滝になっている雪舟の山水図などを見ると、飛び抜けて自然現象を素直に描いているという点において、中国の絵とは圧倒的に違います。
 中国の水墨画の場合、哲学なり仙人のストーリーが必ずバックグラウンドにあって、それを説明するための文人画だったので、絵を描く技術だけではなく、絵を描く人間がいかに哲学的・思想的な力を持っているか、どれだけのボキャブラリーを持っているかがその作品の評価を左右した。一方日本画は、単純に絵の中の楽しみだけを抽出して優劣を競っていたと思います。有名な北斎の『富獄三十六景』の図は、あまりにも見慣れているから不自然に感じないんですが、よく考えてみると実はすごく不自然です。『さよなら銀河鉄道999』のプロメシュームの液状の動きは、多分この作品の監督りんたろう氏が「プロメシュームは一回死んで、変な生命体になっているんだけど、そういうの、金田君描けない?」って言ったら「こんなんですか」って言って描いたと思うんです。その「こんなんですか」というのも含めた、必ずしも自然現象を描写してそうなったのではない、作家の中にあるフィクションと自然との融合みたいなものが、この作品の一番のポイントだと思います。海外でも『富獄三十六景』の評価が高い理由は、この作品の裏に作者である北斎が非常に色濃く見えるからです。西洋の社会は人間を中心として考えられた社会ですから、作品もその作者の人物が見えないと評価出来ない。そういう意味で、これは作品に北斎という人がありありと見えてくる。伊藤若冲の作品で見て頂きたいのは、南画の影響であろう木の描き方です。抽象的な形で表現している部分がある一方で、この当時非常に細密的な写生画というのが流行った背景があるために、不自然な統合が一枚の画の中で行なわれているというのが僕にはすごく興味深い。辻惟雄先生の『奇想の系譜』*の文脈で話を進めていますが、辻先生が評価していたこの時代あたりの作品は第二次世界大戦が終わってアメリカの美術館が買っていくまで評価されていない作品だったようです。特に曾我簫白(しょうはく)という作家は、全然評価の対象外で、奇妙な生き方をした独りよがりな奇人変人扱い、とにかく評価に値しない作品として放置されていたようです。それを辻先生やアメリカ人の研究者の人たちが発掘した訳です。練馬区立美術館でやっていたこの人の個展を見た時、アニメーターの金田伊功さんをすでによく知っていたし研究もしていた僕は、その時なぜか同じ血をこの簫白に感じたのです。

*辻惟雄『奇想の系譜』日本美術の流れno.7 日本美術の見方 岩波書店 1900円 ペリカン社 4800円

なぜ「スプラッシュペインティング」か

村上隆「Green Cream」
村上隆「Green Cream」

 プロメシュームの動きと狩野山雪『老梅図襖』の梅の幹の動きも「どうぞ御覧ください」と言いたいくらいそっくりです。どこに類似点があるかというと、画面の構成の力場が、西洋では3Dの空間の創出が非常に重要でしたが、日本の絵画の世界観では中国のそれよりもはるかに徹底的にフラットだった。水平軸と垂直軸だけを使って観客の目を動かしていくことに集中して描かれた作品だと思います。そういう動きと共に、梅の動きがグニュグニュしているのが、画面の2Dの中にぴたっと当て嵌まる。ぴたっと収まる力場を形成していると思います。金田伊功の仕事がアニメーションとはいえ、全てこの法則によって成り立っているのも偶然ではない、という仮説を立てて僕は今研究しています。それで、狩野山雪と金田伊功にオマージュを捧げるのと、説明画的に描くことによってみんなに分かりやすく絵説きできるのではという気持ちを込めて、スプラッシュペインティングをやっています。そんなに評判がよくないのに、これを延々とやっているのは、日本人の美意識が、常に2ディメンショナルなフィールドにあったということと、日本人が絵画に携わるリアリティとして、ただ主題もなく画面を構築するだけでも作品がつくれるということを提示しようと思ってやっている訳です。西武セゾン美術館で、高さ8mx15mくらいの『タイムボカン』ふうのシルエットを描いたウォールペインティングをやりました。あのシリーズで、エフェクトに対する日本人としての尽きない興味からですが、西洋美術史的に見ると、どう考えてもこれは原子爆弾です。ニュークリア・パワーがあり、日本の広島や長崎があって、人が大勢死に、戦争が終わって、という歴史が、パッパッパッと彼らインテリの人たちには見えるけれども、日本人には見えない。『ヤッターマン』なり『タイムボカン』を見て怒る日本人はインテリの中にも誰もいないと思います。キノコ雲があって、ドクロがあったら死の象徴ですが、その記号とは裏腹に、やられキャラたちは全然死なない。それは日本人のリアリティだなと思って、エフェクトに生や死を考えない、いい加減な人生観のリアリティにして取り上げたのがこの作品です。


home | art words | archive
copyright (c) Dai Nippon Printing Co., Ltd. 1999..