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美術教育を考える-1

美術と教育を巡って
――中村政人インタヴュー
村田 真

中村政人は1963年生まれのアーティスト。東京芸術大学大学院修了後、韓国の弘益大学大学院に留学。昨年、上野の森美術館で「眠れる森の美術」展が開かれた際、『美術と教育・一九九七』を上梓する。これは、Bゼミ所長の小林昭夫、CCA北九州ディレクターの中村信夫、アーティストの森村泰昌、草間彌生、美術評論家の椹木野衣、針生一郎ら関係者32人のインタビューを収めたもの。中村にとっては94年の『レンタル・ギャラリー』に次ぐ2冊目の自主出版となる。この4月、数人の仲間と上野(黒門町)に開設した共同スタジオ「コマンドN」にて、美術と教育について話を聞いた。

――まず『美術と教育』を出した動機について。

中村:あとがきにも書いたんですが、実はもっと根深くて、ぼく自身、高校から浪人時代、大学と絵を描き続けてきたわけだけど、そうした中で自分自身はっきりとある種の造形感が屈折していくさまがわかるんですよ。そしてその屈折度が作家同士で共有できてしまう。それが韓国に行った時、まったく同じ屈折があって、同じ共感を持った。最近、香港とかアジア圏を旅行してても、やっぱり同じ屈折がある。

――フランスとか、西洋は?

中村:フランスはわからないけど。それは単純にデッサンとか割り切れる問題じゃなくて、日本に美術というものが入ってきて、それが変化していくさまがありますよね。それに近い部分を感じるんです。広がりが生まれるはずのものが逆に狭くなっていくことに疑問が生じ、麻疹のようにそこを通る人はみんな同じ病にかかってしまう。そこですね、動機は。やっぱりいろんな人に話を聞くなかで、その疑問が少しずつ解消されていく部分があるんですよ。だから本をつくるきっかけというのは、最初の屈折したある種の疑問を解消したくて、でも絵を描くだけじゃ満足できなくて、いろんな人の話を聞き始めた、そしたら少し楽になってきた、で、本にするしかないと。

――でも最初の屈折がすべて解消されるわけでもない?

中村:解消されるわけじゃないです。むしろ自分の日々の作業が安定するっていうんですかね。会いたい人に会って話を聞くというのは、学校で先生に対峙するのに近い感覚があったのかなと、振り返って思うんです。学生時代にはなかったんですけど……

――本の中では美術教育だけでなく、いろんなことを聞いてますよね。美術教育というのは会いに行くためのひとつのきっかけ?

中村:ええ。一番興味があるのは相手の人間ですから、その人の生き方、考え方ですから。

――では、中村さん自身の美術教育に対する考え方は?

中村:あの本をつくって思ったのは、ぼくにもなにかできるという自信を持てたこと。インタビューを始める前は、教育というのは大きな制度的な枠組みがあって、そこを変えていかなきゃいけないと感じてたんですけど、今考えているのは、なにも美術教育といわなくても、自分ができることの中で、意識すれば非常に教育的な配慮ができるということです。だから教育というのは学校の中でしかできないものとは思わなくなった。もちろん芸大とか国公立の機関が変われば、短時間で効果的に今の教育をよくすることができるでしょう。でもそれだけで物事がよくなるかといえば、そうではないわけで……。

――仮定の話をしてもしようがないけど、もし学校をつくる機会があればやってみたいですか?

中村:もちろん、やってみたいですよ。でも、学校という言葉から感じる私たちの概念ではだめです。絶えず変化しうるシステムを抱いた教育プログラムを考えてみたいし、実行してみたい。今、北九州で中村信夫さんがやってること(CCA北九州)だって、東京でもできると思うんです、だれかがやる気になりさえすれば。でもぼくの考えているのは、スペースとしての学校をつくろうという発想ではなくて、プロジェクト型といいますか……。たとえば、あるアーティストがひとつのプロジェクトを立ち上げる、それを実現させるために5人なら5人のスタッフがチームをつくる、その下にさらに枝葉のスタッフを募集する。そうすると、その人間関係の中におのずと上下関係も、専門家とアマチュアの関係も出てくるわけで、そこにおもしろい教育効果が表われてくると思うんですよ。そういうプロジェクト型の学校というのは、大きな予算はいらないし、プロジェクトが終了すればスタッフも解散し、学校もなくなる。実際それは作品をつくる時に毎回やってることなんですよ。それをもう少しオープンにして、きちっと計画的にやればおもしろい学校のようなものになるんじゃないかな。ぼくらがここ(コマンドN)でやろうとしていることも、ちょっとそれに近いんですよ。

――おもしろいですね。逆に、今の芸大や美大は問題が多すぎる。

中村:現実に、美大や芸大からは毎年2000人以上の作家の卵を送り出してるんです。しかし、なにも状況は変わらない。去年「眠れる森の美術」展で芸大の石膏像室を使わせてほしいとアプローチした時、芸大の教授会で審査にかけられた。でも、作品の内容まで話はおよばなかったようです。結局実現できなかったけど、それもぼくにとってはひとつの成果で、またチャレンジできますから。油絵科は合意して教授会に持っていったら、彫刻科が反対したっていう(笑)。彫刻科は石膏像室を神聖な場所だと思っているんでしょうか……。

――へぇー(笑)。ところで石膏デッサンはどう思います?

中村:どう思うっていわれてもねえ(笑)。ぼくらはあれを何百枚と描かされているわけで……。描き出すと描きやすいし、描いていて確実に手応えがわかるし、作業の積み重ねが見えてくる。じっとガマンして少しずつ前に進む。完成すると達成感もある。そういうのを確認するためにはいいかもしれないけど、それを描くことで培われるのが受験テクニックで、傾向と対策で物事を捉えてしまう態度だったりするわけです。しかもまったく同じ造形意識を植えつけられてしまう。それを考えると非常に問題でしょうね。もうぜんぜんなくていいですよ。

――今、日本以外で石膏デッサンやってる国ってあります?

中村:アジアじゃほとんどやってるんじゃないですか。チェンマイのナウィン(・ラワンチャイクン)の学校に行った時もやってました。ものすごく暑いところで石膏デッサンやってて、像も裸で描くくほうもパンツ1枚で描いている。おかしな風景でしたよ。

――ひょっとして日本から輸入された?

中村:タイはわかりませんが、韓国はそうです。日本は印刷物がしっかりしてるんで、それをそのまま持ってっちゃって……。

――『別冊アトリエ』とか?

中村:そうそうそう、それをコピーして使ってる。ソウルにいた時おもしろかったのが、フルコピーのテキスト本があって、それを見てたら「あ、あいつのデッサンだ」とかわかるわけ(笑)。この前、『美術手帖』の石膏デッサンが載ってる広告ページを50年分コピーしてもらったんです。それで造形大で「石膏デッサン50年史」っていうレクチャーをやった。それ見ると時代が見えますよ。変わっているようで、なにも変化していないということが。

――美大や芸大で、石膏デッサンに代わる選考方法ってあると思いますか?

中村:うーん、それはぼくも聞きたいんだけど……。でも実際には、芸大の油絵科に関しては石膏デッサンはここ10年くらい出てないんですよ。各大学とも油絵科はすごく変化してきて、実験的な課題に変わってるんです。出してるのは特に彫刻科と建築科。入試の選択方法としては、石膏デッサンは実力の差がはっきり出ますからね。ただ問題は、そういうところで絵ができたり、作品が成り立つわけじゃない、ということじゃないですか。

美術教育を考える……村田 真
美術館の普及活動と美術教育――高橋直裕インタヴュー
レッツ・トーク・アバウト・アートセンター――CCA北九州




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