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Interview ||| インタヴュー
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茂木綾子 中村ケンゴ

この記事は、中村ケンゴ氏がnmp-international 5/25号のartist file掲載のためにインタヴューしたものである。

現在、ドイツのミュンヘン在住の茂木綾子。今年4月11日から5月24日まで東京都写真美術館で開催された「メディアローグ-日本の現代写真'98」展出品のために日本にもどっていた彼女にインタビューを行なった。

――茂木さんは武蔵野美術大学に入学して、その後中退して東京芸大に入学したということですがそれぞれ何を専攻していたんですか。

茂木:両方ともデザイン科です。

――デザインを専攻して何をやろうと思ってたんでしょう。

茂木:最初はグラフィックデザイナーになろうと思ってたんですよ。でも芸大に入ってからかな、なんかそういうのも違うなあと思いだして。2年生くらいから写真とか映像とかをやり始めたんです。もともと映画とかに興味もあったし。

――それは大学の授業が契機になっているんですか。

茂木:いいえ、自分で勝手にやり始めました。武蔵美のときに写真の授業があって、ポートレイトを撮ってくる課題があったんだけど、私は精神病院に行って何十枚か撮って自分の作品集みたいなのをひとつつくったのね。それが特別楽しかった。それで私、才能あるかもとか思って(笑)。それで芸大に入ってからは友人のカメラを借りて撮り始めたんです。

――カメラ持ってなかったんですか(笑)。

茂木:そう、ビデオカメラも借りてた(笑)。そのカメラを借りた人の写真も良かったから、なんかいいなと思って撮り始めたんです。ビデオを撮り始めたのは「ステップ・アクロス・ザ・ボーダー」を見てからですね。写真の方は最初モノクロプリントだったんです。学校でもプリントできるでしょ。それで友人達と代々木公園とか地下鉄の中で展示したりとか。

――ギャラリーとかではなくて、ゲリラ的な展示をしていたってこと?地下鉄の中って具体的にはどうやって見せるんですか。

茂木:ただ、作品持って座ってる(笑)。だから別に、まだ作品もたいしてできてないのに画廊とかでやるのってバカみたいじゃない。それよりも作品を毎月ひとつつくって、つくっただけじゃ何だから多少見せることもしようと。

――その後「写真新世紀」(91年より開催されている新人写真家の公募展)に入賞するわけですが。

茂木:そうですね。何回か続けて出したんでけど、最初が佳作くらいで、その次が荒木経惟賞だったのね。

――荒木経惟氏に選ばれたことについては何かコメントはありますか。

茂木:別にないですけど。

――茂木さんが「写真新世紀」に出品していた頃、つまり90年代の初め、東京ではそういった公募展も含めて大きな写真のブームがあったでしょう。若手の写真家達が次々デビューして、メディアも彼等が撮っていた当時流行のプライベイトフォトと言われたようなものを大きく取り上げるというような。あの頃、表参道なんか歩いてると若い子達がみんなカメラ持ってたりしましたけど(笑)。そういうブームの中で茂木さんはどんなことを感じていましたか。

茂木:盛り上がっていたのは、まあ、よかったかなとは思いますね。みんな写真に関心を持ってくれたし。でもそのブームの中で何かに括られるのは不満だったですね。

――例えばどういったことに?

茂木:単純なことだけど、「女性」とか「若い」とか。そういうことはどうでもいいことなんだけど、いつもそういうことが先にくるでしょ。

――今の若い写真家達の傾向として自分の身のまわりの日常、例えば自分のポートレイトや恋人とか友人とか食事の光景であるとかを撮影している作品が多いですよね。茂木さんの写真もとくに初期はそういった印象がありますが。

茂木:まず何かコンセプトを決めて作品をつくるっていうのが苦手で、つくりながら考えるタイプなんですね。だからつくり終わった後に、ああ、こういうふうにつくりかったんだと思うんです。意識下のことを知りたい、というか。意識下のことだから自分ではわかってないわけだから(笑)、とりあえずあんまり考えないで撮ってみて、できあがったのを見てからコンセプトを立てていくというか。ビデオもとりあえず撮るけど、自分の気になるものっていうか、撮りながら選んでるんですよ。何もかも撮ってるわけじない。そういう自分の心の動きというのが後から見てわかる。

――それで日常の生活や友人達を撮るというのは?

茂木:だから日常と非日常について考えていたからかもしれないですね。日常だと思っていることでも受け取り方次第で非日常にもなるでしょ。そのへんの差っていうか。

――意識の上と下、日常と非日常を行ったり来たり、その境界線に作品があるということですか。たしかに写真集を見ても、一枚一枚写真を見ていくと言うよりも写真集をめくっていく流れの中で何か妙なイメージに捕らわれるという感じがありますね。

茂木:そう、だからその行ったり来たりの感覚がきっとそういうかたちで表われるんだと思う。「間」っていうか、実体のない雰囲気というか、そういうイメージが自分の中にあるから。普通に生きていても定まったものなんてないじゃない。
最初はやっぱり漠然と撮っていたけれど、最近はちょっと考えるようになったというか(笑)、ちょっと前は友達の女の子とか撮っていて、わりと自分の世代のことというか、そういうことがあったけれど。今はそういうことだけじゃなくてもっと普遍的なものというか、流行とか世代とかに関係なく、いつの時代で見ても、おじいいちゃんでも子どもが見てもいいなと思えるものがいいんじゃないかってだんだん思ってきた。

――写真集やビデオ作品を見せてもらうと、その構成というか編集というか、できあがった写真、映像をカットアップ、リミックスしていくような感覚は非常に音楽的な感じがするんですね。実際に音楽からの影響があると思うんですが、どういった音楽、音楽家に興味がありますか。

茂木:ジョン・ケージはアイデアを含めて影響というか、考えさせられた。あと、フレッド・スミス。しょっちゅう彼のステージは見ているけど、演奏しているときだけではなくて彼のアイデアとか考えとかが、ただ、聴いて気持ちいいなとかだけじゃなくて、いろいろと考えさせられた。

――ビデオ作品「in the couch」には(大友良英による)音楽がついていますが、自分の映像に音楽がのっかるというのはどうですか。

茂木:自分でつくれれば一番いいんですけれどね。学生の頃は自分でいろんな音楽をコラージュしたりしてビデオに使ったりというこはあったんですけれど。でも大友さんにやってもらって楽しかったし、そうやってコラボレーションするのもおもしろいなと思ってます。

――現在はドイツのミュンヘン在住ということですが、東京からミュンヘンに移って作品に対する取り組み方は変わりましたか。

茂木:子育て中だから(パートナーの映画監督ベルナー・ペンツェルとの間に昨年12月に生まれた娘がいる)、とくに仕事はしていないし、全て子どものペースだからすごくゆっくりしてますね。

――もし、東京にいたらそうもいかないかな。

茂木:東京にいるとやっぱりうるさいというか、情報を入れたくなくても入ってくるじゃない。それが向こうだと全然無いのね、つきあっている人も年寄りが多いから(笑)。そういう意味では孤独だけど。でも今はそういうときかなって思ってるんですけどね。

――作品をつくためにはどちらがいいですか。

茂木:東京は何もかもが速いっていうか、仕事にしてもすぐに上げてくれっていうのが普通じゃない。そういうことは今はないからゆっくりと時間をかけて自分のペースでしっかりしたものをつくりたいと思う。ただ、ゆっくり過ぎてやろうと思ったことも流れていっちゃったりするんですけど(笑)。

(東京、恵比寿のカフェにて)

[from nmp_i 1998]

茂木綾子
茂木綾子





「フライング・ブルーム」
1997




















 






 






 











 






 





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