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掲載/松田行正|掲載/鈴木一誌
垂直の恐怖と快感
松田行正
[まつだ ゆきまさ/グラフィック・デザイナー]

 武田知弘『ナチスの発明』(彩図社、2006)には、ヒトラー帝国の先進ぶりが書かれている。目次から拾うと、コンサート技術、高速道路、テレビ・ラジオの活用、エタノール、アルミ合金、合成ゴム、ヘリコプター、コンピュータ、リニア・モーターカー、格安パック旅行、テーマパーク、ガン対策、アスベスト対策、源泉徴収、扶養控除、自然農法、ヨーロッパ共通通貨などなど。
 そのなかで、軍需相シュペーアが、「ヒトラーは原爆を嫌っていた」と言っていたとあった。戦後、ドイツの科学者がアメリカ、ソ連に拉致されて水爆製造に邁進させられたことを思うと、ナチスが原爆を完成させていたとしても不思議じゃない。実際、ヒロシマ型原爆はナチス製じゃないか、という説もあるくらいだ。
 しかし、いささか信じがたいが、ヒトラーは「死体はもうご免だ」と発言し、原爆投下をためらったのではないか、とする説もある。「連合国=人道的、枢軸国=非人道的」の構図が崩れる可能性があると筆者はいう。

 一方、佐藤忠男『草の根軍国主義』(平凡社、2007)に、あてのない新兵器を待ち望む陸軍首脳が活写されていたが、もし、日本がアメリカよりも早く原爆を開発できたとしたら、おぞましい結果になったことは間違いない。
 おそらく、完成した原爆は迷わず使おうとするが、残念ながら制空権がもはやない。敵地まで原爆を運べないのだ。そこで、沖縄戦真っ最中に爆発させるか、本土決戦に持ち込んで、米軍が上陸してきたら、原爆を自爆攻撃に使いかねない。念願の一億総玉砕だ。当時の日本軍上層部の感覚は、映画「インデペンデンス・デイ」で、エイリアンを倒すために平気で核を使うアメリカと大差ないだろう。

 世界最初の都市無差別爆撃を敢行したのはドイツ空軍のゲルニカ爆撃だが、本格的な戦略爆撃をはじめたのは日本軍だ、と語るのは前田哲男『戦略爆撃の思想』(凱風社、2006)。「無差別」という発想は、イタリアの将軍が「鳥を抹殺したければ、飛んでいる鳥を撃ち落とすだけでは足りない。卵と巣が残っている」と本に書いたところからはじまったらしい。そして、「航空機が都市爆撃を生み、都市爆撃が戦線のない戦争の時代を予告した」と。
 ともかく、空爆は戦法としたら最低だ。空から降ってくる無慈悲な爆弾にさらされる人々のことを思いやる気持ちなどさらさらなく、たばこをふかして椅子に深々と座りながら命令し、軽口を敲いてスイッチを押すだけだ。垂直に落ちる爆弾から逃れるすべは神頼みしかない。

 怒りがこみ上げたところで、吉田敏浩『反空爆の思想』(日本放送出版会、2006)は、「ピンポイント爆撃」という欺瞞や、「やむをえない犠牲・付随的被害」論にたいする反駁が明快だ。そのなかに、史上初の空爆は気球から、という記述があった。
 1849年、オーストリア軍がイタリアのヴェネツィアに時限爆弾を積んだ無人気球を飛ばしたという。被害はほとんどなかったらしい。が、気球空爆の歴史は短い。格好の標的になってしまうからだ。しかし、人類の飛行の歴史はまさに気球からである。

 欧米追随をめざしていた日本での気球が登場する事情も知りたくなり、秋本実『日本飛行船物語』(光人社、2007)を読んだ。
 日本では、西南戦争のとき、反政府軍に包囲された政府軍を気球で救おうとして政府が気球を設計した、とあった。フランスのモンゴルフィエによる人類初の空中散歩より94年後のことだが、太平洋戦争でアメリカに唯一空爆を試みた風船爆弾にも1章を割いている。

 風船爆弾のことは以前から興味があり、関連書を何冊か読んでいたが、ちょうど古本の足達左京『風船爆弾大作戦』(學藝書林、1975)が手に入り、早速読んだ。
 和紙を何枚もこんにゃくを加工してつくった糊で貼り合わせ、温度差の激しい大気中で、垂直上昇下降を繰り返すことができるバラストの時限装置も、感動モノだ。こんにゃくによってできた膜の水素の漏洩率は低く、気密性は高い。そして、その持続力も長いと、いいとこだらけ。いたずらに精神力ばかり強調される日本軍にも、アメリカの科学者を驚かせるほどの科学的な優れものがあったことになる。しかし、そのために5人の子供と1人の大人の女性が死んだ。空爆の被害者はいつも女性と子供が中心だ。

 ところで、垂直上昇下降に興味が移ったところに、五十嵐太郎+大川信行『ビルディングタイプの解剖学』(王国社、2002)に出会った。斜めを嫌い、直角や垂直を重視するシェイカー教徒について書かれてあった。部屋を斜めに横断するのにも、原付バイクで交差点を曲がるときのように直角に渡らなければならない。なんと魅力的な教義だろうか。
 歩くときも、ちょっと大げさだが、ゴシック建築のように、上に伸びる天上志向の歩き方をしなければいけないらしい。おそらく、彼らは図形配置に関する興味が強いのだろう。2階建ての家だと真ん中に階段がある左右対称のつくりで、男女は左右に分かれて暮らし交わってはならない。なんともやるせない教義に胸がつまる。

 こうして思い切り上をめざしたら、今度は落ちるしかない、とダニエル・ジェルールド『ギロチン』(青弓社、1997)を読んだ。ギロチンも「垂直の恐怖」で括ったら空爆と同じだ。
 そこではヒトラー率いるドイツがフランス以上にギロチン大国だったことが明らかにされていた。どうやらヒトラーには、自らの輝ける革命をギロチンで飾りたい、という欲望があったらしい。
 また、映画「白バラの祈り」で、反ナチスのチラシを撒いたことで死刑を宣告された主人公たちを、ギロチンにかけた処刑人は、世界一の首斬り数を誇る処刑人だったことを知った。彼は、戦後、連合軍の絞首刑執行人の指南役として働いたというから強運の持ち主だが、「ギロチン操作人はつねに庇護を受ける」という暗黙の了解が欧米にはあったという。
松田行正
1948年生。グラフィック・デザイナー。著書に『眼の冒険』『はじまりの物 語』『円と四角』『ZERRO』など多数。
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