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プライバシーステートメント
フォーカス
ハピネスの一形態
暮沢 剛巳
待ち望まれたオープン
ギャラリー1、53F 森美術館
ギャラリー1、53F 森美術館
 10月18日、東京・六本木に森美術館が開館した。森ビルが「アーテリジェント・シティ(artelligent city)」を標榜してかの地で開発計画を進めていた六本木ヒルズの中核を為し、今春にヒルズ本体が一足早いオープンを飾ってからは、いまかいまかとオープンが待ち望まれていた美術館であり、プロ野球日本シリーズのテレビ中継にチャンネルを合わせているときも、試合の合間にはその華やかなCMが眼に飛び込んでくる。長引く不況の折、これだけの大型プロジェクトにお目にかかる機会は滅多にないだけに、周囲の期待や関心は当然のように高く、正式オープンに先立って行われたプレビューには多くの報道陣や関係者が参加、会見の席上でも熱心な質疑応答が行なわれた。かくいう私も、その喧騒にまぎれていた一人であった。
 この美術館の柿落としを飾るイヴェントが、「ハピネス――アートにみる幸福への鍵 モネ、若冲、そして、ジェフ・クーンズへ」である。日本の美術館史上初めての外国人館長としてその手腕が注目されているデヴィッド・エリオットが直々に陣頭指揮を取ったこの展覧会は、なんとも華やかで大規模なものであった。参加作家約180名、出品作品にして約250点に及ぶこの展覧会、到底紹介しきれないその全貌はこちらのリストを参照してもらうとして、果たしてその開催意図はどのようなものだったのだろうか? さしあたり、公式URLに記載されている趣旨の説明は以下のとおりである。

さまざまな時代、さまざまな国のアートにあらわれた幸福のかたち。そこには 見ているだけで笑みのこぼれるもの、幸福とは何かを考えさせるものなど、多様な表現があります。人間にとって永遠のテーマともいえる「幸福」を、古代から現代にいたる東西のアートを通して探る本展は、世界地図に始まり、「アルカディア」、「ニルヴァーナ」、「ハーモニー」、「デザイア」という4セクションを巡って、宇宙の痕跡を描いた星の絵で終わります。それは、幸福を巡る世界旅行のような体験でもあります。

知的エンターテイメントとして愉しむ
左:デヴィッド・エリオット、森美術館 館長右:ピエール・ルイージ・タッツィ、森美術館 ゲストキュレーター写真:ホンマタカシ
左:デヴィッド・エリオット、森美術館 館長
右:ピエール・ルイージ・タッツィ、森美術館 ゲストキュレーター
写真:ホンマタカシ
 今回私に与えられた喫緊の課題は本展の展評であるが、展評とは本来、作品や作家に対する個別の評価以上に、会場の構成や企画趣旨に対する評価が重視されるタイプの言説である。それゆえ、会場の作品配置やサーキュレーションなどを手がかりにキュレーターの企画意図を読み解いていく作業が何よりも重要なのだが(これには異論もあるだろうが、私は展評というものをそのように意識し、原稿を書くように努めているつもりである)、こと本展の場合、結構な時間を費やしてそれなりに丹念に作品を見て回ったにもかかわらず、いつもの方法論が通用するという実感を得られなかった。やはり、「ハピネス」という概念があまりにも曖昧で抽象的なのに加え、古今東西の全領域にまたがる出品作品の幅が広すぎるからであろう。この点に関して、企画者のエリオットは「『ハピネス』と『アンハピネス』の表裏一体の関係」(本人は直接の結びつきを否定しているが、これはやはり「9.11」を強く意識したものというべきだろう)を強調し、またゲスト・キュレーターとして共同で企画にあたったピエール・ルイジ・タッツィは、本展の見どころとして「アートを通じてよりよい世界を見ることができるという『本当に楽しい体験』、自分の生活や思い出、願望などを見ることができる『文化的体験』、重要な知識を得ることができる『知識の向上』」という「3つの体験」を挙げている。日ごろの習性で、展覧会企画とは「難解」で「先端的」なものだとばかり思っている身にこのおおらかさにはなんとも驚かされたが、確かに本展の場合は、その企画の研究成果や先駆性などを過剰に意識したりせず、モネと若冲とクーンズが同一会場に設置されたおもちゃ箱のような雰囲気を、一種の知的エンターテインメントとして享受するのが最も賢明な愉しみ方なのかもしれない。

4つのコンセプトにあわせた多彩な作品群
マルセル・ブロータース《詩的世界地図》
トーマス・ルフ (1958-)《基層6 III》 2002インクジェットプリント協力、写真提供:ギャラリー小柳Photo:  Thomas Ruff BILD-KUNST, Bonn & APG-Japan/JAA, Tokyo, 2003
トーマス・シュトルート《パラダイス14 屋久島 日本》
上:
マルセル・ブロータース《詩的世界地図》
Carte du monde poetique / Poetic Map of the World 1968
116.0 x 181.0 cm カンヴァスに紙
アニック&アントン・ハーバート・コレクション
Annick and Anton Herbert
Collection, Ghent, Belgium
SABAM, Bruxelles & JVACS, Tokyo, 2003
中:
トーマス・ルフ (1958-)
《基層6 III》 2002
インクジェットプリント
協力、写真提供:ギャラリー小柳
Photo: Thomas Ruff
BILD-KUNST, Bonn & APG-Japan/JAA, Tokyo, 2003
下:
トーマス・シュトルート《パラダイス14 屋久島》
Paradise 14, Yakushima 1999
140.0 x 177.8 cm 写真
大澤秀行氏蔵
写真提供: ギャラリー・シマダ
 そうはいっても、最低限の枠組みくらいは押さえておく必要があるだろう。開催コンセプトにもあるように、本展は4部構成である。エリオットの巻頭論文によれば、「アルカディア」は古代ギリシャ・ローマの楽園を、「ニルヴァーナ」は仏教的な瞑想に、「デザイア」は人間の普遍的欲望を、「ハーモニー」は宇宙システムのホメオスタシスを意味しており、それぞれのコンセプトに対応した作品が古今東西や表現形態を問わずに選ばれている。この構成には、オックスフォード近代美術館在籍時に日本の現代美術展を企画したというエリオットの関心も反映されているだろう(それにしても、この枠組みにオリエンタリズムへの批判的眼差しを感じるのは私だけだろうか)。以下、散漫になるのを承知の上で各セクション別に気になった作品、気に入った作品を数点ずつ挙げていく。
 さすがに「アルカディア」では古い時代の作品が目立った。冒3詭頭に設置されていたマルセル・ブロータースの《詩的世界地図》は、全体を暗示する役割を果たしていて秀逸。エドゥアール・マネの《草上の昼食》は、展示されている習作も悪くはないのだがやはり本物を見たいという気にさせられる。映像作品の上映では、何と言っても《民族の祭典》のラストに登場する、アルベルト・シュペーアの光のスペクタクルが圧巻であった。
 「涅槃」を意味するためか、「ニルヴァーナ」では仏像や仏画の展示が目立った。仏教美術に詳しくないので作品の良し悪しの評価は下せないが、企画趣旨との兼ね合いだとすればあまりにもストレートでひねりがなさ過ぎる。ただ、アド・ラインハートの絵画、ダン・フレーヴィンの蛍光インスタレーション、ジェームズ・リー・バイヤーズの真鍮彫刻、イヴ・クラインのクライン・ブルーなどがこの雰囲気と思いのほか深くシンクロしていたのには驚いた。これらの作品だけでも「涅槃」を髣髴させる雰囲気の演出は可能だったはずなので、ひょっとしたらその方がよかったのではとも思った。
 「デザイア」もまた、ストレートに「欲望」を強調しすぎる傾向があって興ざめな面があったが、インドの春画と勝川春章や葛飾北斎の浮世絵の類似には目を見張り、思わず「和製カーマ・シュートラ」なる言葉を捏造してしまった。またお土産用紙バッグのデザインにも流用されているトーマス・ルフの極彩色の写真には眩暈にも似た感覚を覚える一方、モノクロのミニマル写真家としての側面しか知らずにいた自分の無知を思い知らされる。村上隆の《COSMOS》は、六本木ヒルズの外壁をはじめ、最近ではお馴染みとなったカラフルなひまわりの図像パターンを順路の壁や床に敷き詰めたもの。「ハピネス」というテーマとの高い整合性は言わずもがなだが、著作権上の問題で館内での作品の写真撮影や映示が厳しく制約される条件を考慮したのだろうか、公共スペースである順路をも作品に巻き込んだそのメディア露出戦略(?)は相変わらずしたたかだ。
 「ハーモニー」は何といってもトーマス・シュトゥルートの写真に尽きる。「無垢な自然」というキャッチフレーズ自体すでに手垢にまみれたものとはいえ、青々とした屋久杉の植生の生命力はやはり力強い。ほんの1〜2ヶ月前にある景勝地で見た、とっくに樹齢が尽きているのに観光の目玉ゆえ添え木やセメント注入によって無理やり生かされている松の木の醜悪さが忘れがたいだけに、なおさらその力強さが新鮮に感じる。
趣味、嗜好に応じた作品探し/美術館の目指すもの
マルレーネ・デュマスの《青白い肌》
マルレーネ・デュマス《青白い肌》
Pale Skin 1996
125.0 x 70.0 cm ミクスト・メディア、紙
個人蔵 Private Collection, Amsterdam
写真提供:ギャラリー小柳
 もちろん、これは数限りない印象記述の一例に過ぎない。ほかの観点、ほかの基準に基づく評価の仕方はいくらもあるわけで、会場を訪れた観客は各々自分の趣味や嗜好に応じて「マイ・フェイヴァリット・ワーク」を探し、そこに感情移入の契機を見出せばいいのだ。というよりも、本展の企画趣旨自体がそのような行動を促すものなのだと言ってもいいだろう。キュレーターのタッツィでさえ、一押しの作品としてクロード・モネ《プールヴィル絶壁にて、晴天》やマルレーネ・デュマスの《青白い肌》を挙げているほどである。観客が特定の作品に肩入れすることを躊躇う理由は何もあるまい。
 今後のプログラムや運営方針、美術館としては異例のテレビCMまで放映しているパブリシティ活動、六本木ヒルズのほかの事業との関連や森ビル本体の文化政策、ほかにも気になる点はいくらもあるのだが残念ながらいまはそれらを語る余裕がない。それらについては後日機会を改めるとして、いまはただ、地上52・53階の眺望と深夜開館というほかに類例のない特徴をもつ都心型巨大ミュージアムの展開に期待を寄せるにとどめておこう。この美術館の主たる目標のひとつとしては、「私たちが生きているこの時代の芸術と文化を、できる限り多くの方々に紹介するための力強い拠点」としての役割を果たすことが意図されているという。その実現はまぎれもなく「ハピネス」の一形態であるといえるだろう。
 
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