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ベイルート便り
市原研太郎
中東地域に出現した現代アート
 4月、私はレバノンの首都ベイルートへと向かっていた。ドバイ経由でベイルートに行く途中、私の乗る航空機はイラクとサウジアラビアの国境付近を通過した。それは、間違ってもイラク側に進入することはないが、国境線に沿ってサウジアラビアの砂漠地帯の上空を、地中海の方角に飛行し続けた。そのルートから遠くないイラク南部のバスラで戦闘が起こり、死傷者が出たことを知ったのは、ベイルートから帰途、新聞に目を通した時だった。
 到着したベイルートは、外から見る限り静穏を保っている。しかし、市内の道路の各所に検問所とバリケードが設けられ、武装した兵士や警官だけでなく装甲車までも配備されていた。その物々しい雰囲気から、ベイルート市街の平和は捏造されているかのような印象を受けた。とりわけ近年の再開発で新しさを取り戻したダウンタウンは、二重にバリケードが張り巡らされたうえに、多数の武装兵士に警護されていた。その中にいると、放射状の街区の豪華な美しさが舞台の書割としか思えない。そのように見えてしまう背景には、2005年に元首相のハリリの暗殺(この再開発に絡む利権が理由との噂がある)、さらに2006年、イスラエル兵の拉致に端を発したイスラエル軍のレバノン侵攻、といったきな臭い事件が連続したことだけでなく、時間を遡れば、レバノンをめぐる長く悲惨な内戦や戦争の歴史がある。偶然だろうが、私がベイルートを去って10日も経たないうちに、市内は再び戦闘状態に陥った。
アルジェリアの内戦を取材したドキュメンタリー写真
 そのように、いつなにが起こっても不思議ではないベイルートにあえて足を運んだ訳は、ベイルートでアート関係のフォーラムが開かれるという情報を得たからである。最近、現代アート界では、中東を含むアラブ出身のアーティストの活躍が目立つ。レバノンの出身のアトラス・グループが一躍注目を浴び、隣国パレスチナのエミリー・ジャシールは、去年のヴェネツィア・ビエンナーレで、若手アーティストに贈られる賞を授与された。20世紀の終わりより、レバノンやパレスチナだけでなく、トルコからイラン、アフガニスタンに至る中東地域で現代アートの活動が見られるようになった。数は多くないが、紛争地を抱えるこれらの地域で優秀なアーティストが現われている。その理由を知りたく、ベイルートでのイヴェントの情報を聞いた私は、急遽ベイルート入りを決めたのである。
左=内戦時に攻撃され壁に砲弾の穴が残る旧ホリデイ・イン(左)と建築中のビル(右)
右=軍隊に厳重に警護されたダウンタウン地区
中東の社会問題を投影した作品
 このイヴェントは、Ashkal Alwanという組織が定期的に開催しているHome Worksという名前のフォーラムで、レクチャー、ダンス、パフォーマンス、フィルムとヴィデオの上映を短期で集中的に行なう。今回が4回目となるこのフォーラムは、過去に予定していた時期に暴力的な事件が出来して延期されたこともあったと聞いたが、今年はスケジュール通り4月12日から20日まで、ぎっしりと詰まった日程で支障なく実行された(私は、15日から参加した)。このフォーラムの特徴は、さまざまな表現や研究を凝縮して発表するその仕方もさることながら、内容が、中東の文化や政治に関する調査や研究の成果であったり、主に中東で活動するアーティストの作品の紹介であったりする。だからこそと言うべきか、Home Worksには、ヨーロッパやアメリカから少なからぬ数のアート関係者が参加することになる。
 まず現代アートの展覧会は、市内の3カ所の会場が使われて行なわれた。ひとつは、レクチャーや上映などの主会場Madina Theater脇のスペースで、ここにはパレスチナからの参加アーティストKhalil Rabahの《The United States of Palestine Airlines》が展示された。これは、架空の航空会社のオフィスを開設してパレスチナをめぐる問題を批判的な笑いで浮き彫りにするインスタレーションで、送迎用のバスまでも用意されていた。さらにその近くの画廊では、“Back to the Present”と題された二組展が開かれていて、両方のアーティストともレバノンへのイスラエル侵攻を題材として、一方はイスラエルの捕虜となったレバノン市民へのインタヴュー、他方はイスラエルの爆撃で破壊された都市の廃墟を、コーランを朗唱しながら徘徊するアーティストの姿を、ヴィデオに映し出した。三つ目の展示は、Sfeir-Semler Galleryで開かれたグループ展である。それには、前掲のジャシールの、殺害されたパレスチナ人文学者を扱ったプロジェクトや、イラク出身の家族をもつユダヤ人アーティストMichael Makowitzの、戦乱の中でバクダッドの美術館から消えた考古学的な文物を再現した作品が含まれていた。そのほかにも、レバノンの内戦時代(1975〜90)の各政党や党派のポスターを一挙に提示した“Signs of Conflict”展が、異様な迫力を醸していた。Home Worksの企画の外では、ベイルートに本拠を置くNGOがユネスコ宮殿で開催した、内戦時に行方不明となった人々の資料(顔写真や名前など)の展示、そしてレバノン同様熾烈を極めたアルジェリアの内戦に取材したドキュメンタリー写真の展覧会などが開かれていた。
 Madina Theaterにおいては、アラブの文化や政治に関心をもつ専門家による興味深い一連のレクチャーが組まれ、その合間にパフォーマンスや映像作品の上映が行なわれた。パフォーマンスでは、レバノン内戦を主題にしたRabih Mroueの《How Nancy wished that Everything Was an April Fool's Joke》が秀逸だった。映像のほうは、そのどれもがアラブ諸国々の過酷な社会状況を反映して、その現実の深刻な内容を、パセティックあるいは誠実に、ある時はユーモアを交えて表現に結実させていた。アーティストが否応なく巻き込まれる歴史的な不幸を、あくまで個人的だが距離を置いて冷静に把握する彼らの姿勢は、いわゆる平和ボケの真っただ中で、自らの問題の本質(原因や敵)を見抜けずにいる日本人の盲目さとは、まったく対照的である。
左=The United States of Palestine Airlines
右=Signs of Conflict
左=ユネスコ宮殿で開かれた内戦で行方不明になった市民の写真資料展
右=Madina Theaterでのレクチャー
外部を必要とするアート
 私が、このフォーラムとベイルートでの体験で得た結論は、アートは外部を必要とするということである。外部から表現の素材やエネルギーを引き出してくることが、アート成立の絶対条件となった。では、もし日本のアーティストが外部を知らないとすれば、なぜいま日本人アーティストが世界的に注目されているのだろうか。答えは簡単。鑑賞者が、日本の外部だからである。逆に言えば、鑑賞者のほうが作品を外部に設定し、彼らが日本人の表現に特異なイメージとエネルギーを投射するのだ。だが、それはエキゾティシズムと呼ばれる。
 私が滞在中、軍隊の治安維持の効果とはいえ、ベイルートにはともかくも平穏な日々が続いていた。しかしその間に、レバノンに接するイスラエルとパレスチナの間に衝突が起こり、ガザ地区で犠牲者が出ていたのである。その事実を知ったのは、やはり帰途の機中だった。このように、ベイルートでさえイスラエル、パレスチナは外部にある。ならば、日本をレバノンの位置に移動させることも十分許されるだろう。われわれの想像力は、外部を身近に引き寄せることを可能にする。日本の隣にあるイスラエル/パレスチナ。このようにして内部と外部を鋭く対立させることで、アートは自らの存在意義を厳しく問われるが、それと引き換えに、踵を接した外部から素材とエネルギーを掬い取る。アートになにができるのかと自問するのと同時に、アーティストは、内部と外部の接触に表現を賭けるのだ。それは、中東のアーティストに限ったことではない。日本のアーティストにとっても同様である。
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