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学芸員レポート
札幌/吉崎元章福島/木戸英行|東京/増田玲
近代写真の生みの親 木村伊兵衛と土門拳
東京/東京国立近代美術館 増田玲
木村伊兵衛《青年》
土門挙《小河内村 傘を回す子供》
上:木村伊兵衛《青年》秋田市 1953年
下:土門挙《小河内村 傘を回す子供》1935年頃
 この欄では、なるべくartscapeにアップされてからしばらくは会期が続いている展覧会を選んで紹介するようにしてきたが、今回は適当なものが見つからず、やや不本意ながら3月3日で終了してしまう「近代写真の生みの親 木村伊兵衛と土門拳」展についての報告。
 木村伊兵衛(1901−1974)と土門拳(1909−1990)、いうまでもなく日本の写真史上の重要人物である。その二人を取り上げた今回の展覧会は、酒田市にある土門拳記念館の開館20周年を記念して、昨年同館で開催されたもので、今年1月末から東京展が始まった。木村と土門、ともにその名を冠した写真賞があり、「木村伊兵衛賞」は朝日新聞社、「土門拳賞」は毎日新聞社がそれぞれ制定。今回はその両社の共催で、こういう形式もこの二人ならではであろう。
 木村も土門も、ともに戦前から戦後にかけてほぼ半世紀にわたる、長い活動期間をもつ写真家である。最初にカメラに触れたのは小学生の時であり、趣味が高じて営業写真館を開いたという前歴を持つ木村は、八つ年下の土門が24歳で写真館に下働きとして入り、初めて写真と関わりをもったときには、すでに有名写真家であった。しかし努力の人・土門もすぐに頭角を現し、戦前・戦中期には報道写真という新たな分野を舞台に木村伊兵衛に劣らぬ活躍を見せるようになる。土門はまだ駆け出しの頃から木村をライバル視し、自室には「打倒木村伊兵衛」と紙に書いて貼っていたという話があるほどだ。土門の写真が、木村をはじめ名立たる写真家たちを出し抜いて『ライフ』誌に採用されたときに、得意満面の土門に出会った木村が、「月夜だけではないぞ」と捨て台詞を吐いたという伝説もある。
 東京下町の生れで裕福な育ちの粋人木村と、幼少期を東北で過ごし苦労を重ねて写真家になった土門は、あらゆる面で対照的な存在なのであるが、写真家としてのスタイルもまた見事なまでに対照的だ。街であれ人であれ、軽やかな身のこなしで対象の一瞬の表情を切り取る木村と、あらゆる対象を凝視し、がっちりと捕まえるような土門。今回の展覧会は「沖縄」「東北地方」「こどもたち」など、二人がともにまとまった数の作品を残しているテーマごとに章が立てられ、それぞれの章の中で、二人の写真が併置されるという構成となっていた。こうして並べてみると、彼らの写真の違いが明確に現れてきてとても興味深い。もちろん有名なイメージが多いから、それらについては既にどちらの撮ったものか知っているのだが、そうでない作品も、キャプションを見ずに、写真を眺めているだけで、ほぼどちらの写真か判別できる。展示は完全に二人の写真が入り混じっているということではなかったが、僕がいった際にはけっこう混んでいて、空いているところを探してとびとびに写真を見ていったので、ランダムに眼に飛び込んでくる写真の作者当てゲームを楽しんだ次第。一見、簡単な構成のようでいて、見ているうちに気がついてくることも多く、なかなか奥の深い展示だと感心した。もっともこのような展示構成が成り立つのもこの二人ならではといえよう。
 さて、このような構成のため、紹介されている作品は戦後間もない時期までのものであり、二人の写真の方向が分かれていった1960年代以降の作品は今回の展覧会には含まれていなかった。念のために付け加えておくと、〈筑豊のこどもたち〉、〈ヒロシマ〉など社会的テーマの作品を経て、ライフワークとなった〈古寺巡礼〉という大テーマに取り組んでいく土門、ホームグランドの東京だけでなく、ヨーロッパを撮っても中国を撮っても、変わることのない独特の「眼」を感じさせるスナップショットの技をますます洗練させていった木村と、その後の展開もやはり対照的である。
 展覧会は最初に述べたとおり、この文章がアップされるころにはほとんど会期が残っていないのであるが、かわりにこの二人をとりあげた一冊の本を紹介しておきたい。三島靖著『木村伊兵衛と土門拳』。三島氏は『アサヒカメラ』の編集者で、この本は土門拳が1990年9月に死去したのを契機として、翌年1年間同誌に連載され、1995年に平凡社から単行本として出版、このたび平凡社ライブラリー版として再刊された。興味をもたれた方は一読をお勧めます。
会期と内容
●近代写真の生みの親 木村伊兵衛と土門拳
会場:有楽町朝日ギャラリー 東京都千代田区有楽町2-5-1 有楽町マリオン11階
会期:2004年1月30日(金)〜3月3日(水)
休館日:2月16日(月)
入場料:一般500円、中学生以下無料
主催:朝日新聞社、毎日新聞社
問合せ先:有楽町朝日ギャラリー Tel. 03-3284-0131
学芸員レポート
 木村の「月夜だけではないぞ」という捨て台詞事件があったのは、土門が、名取洋之助の主催する「日本工房」に所属していた1938年のことである。木村はすでに日本工房を去り、あらたに中央工房を設立して、土門らと当時の新分野である「報道写真」の先端に立っていた。実はこのとき土門は、工房の一員でありながら海外出張中の名取の留守をいいことに、「Photo Ken Domon」というクレジットで『ライフ』誌に写真を送る。その行為は大いに名取の怒りを買い、それまでも何かと名取と確執のあった土門が日本工房を去る引き金ともなった。これもまた日本の写真史上に残るエピソードとして知られてきた。ところがこのエピソードも、従来語られてきた、名取と土門の個人的確執(ブルジョワ階級出身でヨーロッパ仕込みの名取は、木村に輪をかけて、土門とはかけ離れた資質の人物だった)という側面だけではないのではないか、という研究報告を昨年末に聞く機会があった。
 12月14日にJCII(日本カメラ財団)ビルで開催されたシンポジウム「名取洋之助と日本工房について」(名取研究會主催)。このシンポジウムをはさんで同時期、同じビル内のギャラリーでは、「名取洋之助と日本工房作品展−報道写真の夢−」展が開催された。ドイツで写真家となり、昭和初期の日本に報道写真という概念を持ち込んだ名取洋之助が主宰し、対外文化宣伝グラフ誌『NIPPON』などを手がけた日本工房は、木村や土門ら写真家、河野鷹思や亀倉雄策らのデザイナーなど、戦後もそれぞれの分野をリードした人材を輩出したことでも知られ、写真史、デザイン史、メディア史などさまざまな分野において重要な足跡を残している。しかしたとえば『NIPPON』が何号まで発行されたかなど、実はいろいろな面で今となってはよく分からないことも多く、それを出来うる限り実証的に跡付けようと、この名取研究會のメンバーがここ数年調査を続けてこられた。今回はいわばその中間報告だった。
 問題の土門と名取の確執も、当時の内閣情報部による対外写真配信への統制や、名取がめざした近代的な通信社としての日本工房のあり方といったことを踏まえて見直す必要があるとの、当時の公文書などのたんねんな調査を元にした、実に興味深い報告をされたのはJCIIライブラリーの白山眞理氏。同時開催の展覧会も、貴重な資料の展示など見どころが多くとても参考になった。
 こうして、なぜか好運にもちょうどいい時期に開催される、これらの展覧会やシンポジウムなどの刺戟を受けつつ、秋に開催する「木村伊兵衛展」の準備を進めているわけであります。
[ますだ れい]
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