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見えないデザイン−3
60年代トリップから電子のロマン主義へ
柏木 博

最近、そうしたことが語られることが少なくなってきたが、いわゆるVR(ヴァーチュアル・リアリティ)の装置が出現しはじめた頃に、テクノロジーのロマンともいうべきことでもあるのだが、電子空間への「トリップ」という物語がさかんに語られた。この「トリップ」という感覚は、あきらかに、1960年代の薬物によるトリップが意識されていたのではないか。60年代のトリップからの地下水脈をとおっての80年代末の電子空間へのトリップ。いったい、60年代のトリップの背景には何があったのか。

60年代のトリップと結びついたのはLSDと呼ばれた薬物である。これについては、マーティン・A・リーとブルース・シュレイトンによる『アシッド・ドリーム』(越智道雄訳、第三書館)に詳しい。LSD(リエルグ酸ジエチルアミド)は、1938年に、スイスのサンドス製薬で、アルバート・ホフマンによって合成された物質である。LSDは、ホフマンが麦角菌の派生物から合成した25番目の物質ということで、正しくはLSD25と呼ばれた。この物質は動物実験では、当初、何事も起こらなかったので、忘れられてしまった。その後、1943年になって、たまたまホフマンはこの物質を再度検討していた時に、微量を吸収し、幻覚が現われることに気づいた。したがって、LSDの実験は、人間の精神の働きを知る手がかりを与えるということに科学者たちが、気づき始めた。『アシッド・ドリーム』によれば、その後、詩人のアレン・ギンズバーグは、アメリカのCIAが精神操作の目的でLSDを使用したということを暴露したという。

よく知られているように、1960年代に、心理学研究者のティモシー・リアリーが、LSDをふくめた薬物(サイケデリック)の実験を、ハーバード大学で実践し始めた。そして、LSDが引き起こす体験を、精神のあり方と関連させ説明しようとしたティモシー・リアリーは、60年代のドラッグ文化のひとつの特徴を代表することになっていった。
 LSDの効果がどういうものであるのか、実際のところはわからないが、『アシッド・ドリーム』では、経験者のエピソードとして、たびたびふれていることは、さまざまな視覚的な幻覚体験とともに「隠されていた自己に出会った」「あらゆる形態の生命の相関関係が見てとれた」あるいは、自分(エゴ)の解放、精神的座標軸のゆらぎを感じ、現実を現実として感じられなくなったといったことである。どうやら、LSDによる幻覚は、一方で刹那的なトリップの快楽とともに、時として存在感にかかわる体験をさせるものであったようだ。その結果、突如として「愛」「共生」といった感覚とともに、宗教的な感覚を持つことが少なくないと、リーとシュレイトンは報告している。

ティモシー・リアリーは、LSDの幻覚体験をとおして、LSDという化学的物質すなわちテクノロジーを使って自己の存在のありかを探ろうとした。LSDによる体験を自己を知る自己参照のトリップと考えたのである。そのために、LSDのトリップの方法をマニュアル化しようとした。その結果、リアリーは『チベット死者の書』を使うことになった。
 ヨガ、禅、仏教といった、キリスト教の外側に置かれていた宗教が急速に注目されることになるのも、LSDに代表されるサイケデリック体験とかかわっていた。リーとシュレイトンは、ティモシー・リアリーが『チベット死者の書』をLSD体験の入門書として実際に使ったと述べている。
 ティモシー・リアリーによって、LSDを代表とするサイケデリックによる幻覚体験は、『チベット死者の書』における宗教的な体験と結び付けられた。これは、いってみれば、薬物という科学と宗教との奇妙な結合化であった。この奇妙に結合された観念が、60年代末から70年代にかけてさほど無理なく受容されたのは、それが存在論的な問いを含んでいたからだといえるだろう。

60年代の若者たちにとって、自らが生きる都市、管理的システムとしての教育環境に、自らの根拠を求めることはできなかった。したがって、そこでは自らの存在に対する漠然とした不安感が広がっていた。そうした精神空間の中に、宗教的な存在の根拠に結び付けられたサイケデリックは、猛烈な速度で若者たちの中に浸透していった。しかし、もちろん、LSDは、見えない自己の意識に出会うという体験にはならなかった。結局、幻覚の繰り返しに終わったのである。
 しかし、科学と宗教との混合による、存在論はその後、形を変えながら断続的に浮上してくることになる。コンピュータ・テクノロジーと宗教的ロマンの結合。不可視の電子空間の体験をロマンティックに語る言説には、どうも、そうした安易な存在論を感じてしまう。
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