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野村和弘「エヴァは何回リンゴを食べる?」
梅津 元
[埼玉県立近代美術館]
 
札幌/吉崎元章
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野村和弘の個展を見た。会場はこの春オープンしたばかりのタグチファインアート。春の南天子画廊に続く個展である。実はこの時の個展を雑誌『美術手帖』の展評で取り上げたのだが、字数が少なく、たいしたことは書けなかったので、ここで改めて彼の作品について考えてみたい。
 野村和弘の作品について説明することは難しい。実際の作品を見ないと何も伝わらないだろう。しかも、彼の作品はあまりに繊細で、複製による再現が困難という理由で、上述した『美術手帖』の展評の際にも作品図版は掲載されず、会場風景のみの掲載となった。だが、だからこそここで書きたいのだ。なぜなら、作品について語ることは許されているからだ。考えてみれば不思議なことである。言語は恣意的・主観的にならざるをえないため、読者が作品について正確なイメージを受け取ることは保証されていない。写真複製が許容されない理由が、正確な再現が期待できないという理由ならば、言語による作品の説明が同じ理由で制限されてもおかしくないはずではないか。
 例えば、今回発表された野村のタブローを「小さい」と書くとき、「小さい」と表現可能な作品の寸法が定義されているわけではない。あるいは、作品の主要な要素を、「微細な点」と書くとき、どの程度の小ささをもって「微細」とするかが定義されているわけではない。主観を排して正確さをめざすならば、実際の寸法を数字で記述することも可能なはずである。だが、ほとんどの場合、こうした書き方が特に問題にならないのは、おおむね共有されている常識的な感覚に依存して言語が成り立っているからである。
 ここには写真と言語をめぐる根本的な差異が明らかになっている。つまり、作品を現場で見ることを一義的とするなら、作品について語っている言葉を読むことは、これと別なレベル=これを二義的とする=として想定されている。これに対して、写真は、実物と写真が違うということをわかったつもりでいながらも、視覚によって確認されるが故に、ついつい一義的として見てしまっているのではないだろうか。従って、野村の作品が写真によって正確に再現できないことが問題だというよりも、正確な再現ではない写真複製を、あたかも作品そのものとして受け止めてしまう感覚の方がより問題だということが明らかだろう。
 もちろん読むことも視覚を経由するが、あくまでも経由でしかない。言語は読者に意味をもたらし、その意味は認識へと至る。これに対して、視覚はそのままでは意味に直結せず、知覚をもたらす。知覚も確かに認識へと至るが、ここではむしろ言語化されやすい知覚が認識へと至るといえ、必ずしも言語化されえない知覚もある。ここで注目されるのは、写真が通常は言語化されにくい視覚表象を伝えてくれる媒体であるにもかかわらず、野村の作品においてはそうした機能が発揮されないということである。野村の作品を見て、その微細な点について語らないということは考えられない。しかし、写真で撮影できなかった場合、写真複製から点は消えてしまう。つまり、言語は書き手の判断=「重要である/重要でない」、を反映するのに対して、写真では、「重要である/重要でない」という判断を反映することができないということである(もちろん、これは写真という媒体の武器なのであるが)。このことから逆にいえることは、言語化する際、人は無意識であれ、価値判断を行なっており、自分にとって重要なことを伝えるということだ。そこにはその人の判断がある。では、写真は誰の視覚なのか?誰にも属さない視覚なのだ。では、写真のように、誰にも属さない批評言語を成立させることは可能だろうか? 私が野村の作品について書きたいという欲求を持ってしまったのは、実はこのような言語のありかたをどこかで模索しているからなのかもしれない。もしかするとそうしたことに挑戦するテーマとして野村の作品が存在しているという直感が、私が彼の作品に強く惹かれる原因なのかもしれない。こうした課題が見えてきたこと自体、野村の作品が私にもたらした強い刺激を示している。時間はかかるかもしれないが、ぜひとも挑戦してみたい課題である。
 最後に少しだけ展示作品について触れておきたい。これまで野村の点による作品は、白色を地としていたが、今回、はじめて赤が制作された。新たな展開である。点の色は同じであっても、当然ながら地が白の場合とは見え方が全く異なる。地が白の場合、背景はあくまでも背景でしかなく、5色の色の点が主役として見えていた。しかし、赤、それもかなり強い赤が地となった作品においては、5色の点をその一部として取り込んでいるように見え、地と点が一体化したひとつの堅固な画面として立ち現れてくる。また、赤が地の色として登場したことにより、白もまた背景としてではなく、色として認識されるようになった。また、白を地とした作品においては、1点1点の違いを記憶することができず、シリーズ全体をとらえていたが、少なくとも地の色が変わったことによって、白とは異なるシリーズが存在するという区別がつくようになった。今後どのような展開があるかは予想できないが、次回の発表が楽しみである。
会期と内容
●野村和弘「エヴァは何回リンゴを食べる?」
会期:2001年11月10日〜12月22日
会場:タグチファインアート(東京都中央区日本橋茅場町 2-17-13 第2井上ビル4F tel.03-5652-3660
URL http://www.taguchifineart.com/contact.html

[うめづ げん]



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