REPORT

150周年の取り組み

100年以上続く企業は、何を守り、何を変えながら、時代の荒波を乗り越えてきたのか――。2026年7月28日、DNP本社(東京・市谷)で、「長寿企業のDNAを探る」と題した、「長寿企業調査」に基づくトークセッションを開催しました。
トークセッションには、サッポロビールの常務執行役員・武内亮人氏、東レの上席執行役員・島地啓氏、そしてDNPの専務取締役・杉田一彦が登壇。長寿企業研究の有識者である作家・コンサルタントの佐藤智恵氏をモデレーターに迎え、各社の理念や挑戦、危機や失敗をテーマに熱いクロストークが繰り広げられ、会場からも質問が相次ぎました。
“三社三様の歩み”から見えてきた、100年を超えて成長を続ける企業が「変化させたもの」と「変化させなかったもの」とは?

長寿企業は“保守的”ではなかった!?

佐藤智恵氏(以下、佐藤) 2026年にDNPとサッポロビールは創業150周年、東レは創業100周年という節目を迎えました。周年事業と言えば、社史を編纂したり、シンポジウムを開催したりする企業が多いと思います。そうした中で、DNPはなぜ「長寿企業に関する経営意識調査」を行ったのでしょうか。

「長寿企業に関する経営意識調査」に関するレポートはこちら

DNP 杉田一彦(以下、杉田) DNPの150周年を、自社の歩みを振り返るだけの機会にはしたくない。そんな思いが出発点にありました。ここまで事業を続けてこられたことへの感謝を社会に役立つ形で還元できないかと、広報のメンバーとともに昨年から検討してきたのが今回の調査です。
100年以上続く企業には、どのような特徴があるのか。その共通点を調査・分析すれば、多くの企業に役立つ知見を提供できるだけでなく、私たち自身が今後も成長していくためのヒントを得られるのではないかと。非常に意義のあることだと感じ、企画を進めました。その結果、興味深いデータが数多く得られました。これをDNPだけで考えるのではなく、同じく周年を迎えられたサッポロビールさん、東レさんと一緒に議論したい。その思いが、今日の場につながっています。

佐藤 今回の調査は、ハーバードビジネススクールの教員をはじめ、専門家からも、多くの発見があったという声が聞かれました。長寿企業に身を置く皆さんは、この結果をどのように受け止めましたか。

サッポロビール 武内亮人氏(以下、武内) 私たちの歴史を振り返っても、創業時の強みを基盤にしながら、時代に合わせて変化を重ねてきているという点は非常に共感しました。一方で印象的だったのは、「長寿企業は保守的ではない」という結果です。日本企業は保守的に見られがちですし、長く事業を続けていると、私たち自身も「変わることを恐れていないか」と自問することがあります。その意味でも興味深い結果でした。

東レ 島地啓氏(以下、島地) 私も、時代や環境の変化に対応してきたことが長寿企業の特徴であるという点は、まさにその通りだと感じました。 反対に意外だったのは、長寿を支える強みとして「人材」が最上位ではなかったことです。東レでは、人材こそが企業の根幹にあると考えています。トップ5には入っていましたが、私はもっと上に来ると思っていました。

杉田 私が特に印象に残ったのは、「業績が伸長傾向にある企業ほど、挑戦を評価する風土がある」という点です。DNPも、創業以来培ってきた技術や強みを応用・発展させ、新しい市場へ挑むことで事業領域を広げてきました。それを支えたのは、挑戦を後押しする企業風土と、困難に直面しても最後までやり通す社員のスピリットです。
環境に応じて姿を変えるだけでなく、その変革に挑み続ける風土を育てることが、持続的な成長につながるのだと、あらためて感じました。

レーヨンから航空機へ。東レが「変化させたもの」

佐藤 今回の調査では、長寿企業にこれまでの歴史を振り返ってもらい、自社が「変化させたもの」と「変化させなかったもの」を聞いています。まずは、3社が「変化させたもの」について伺います。東レは、レーヨンの製造から始まり、現在ではユニクロのヒートテック、航空機の機体、ピックルボールのパドルまで、多様な分野に技術を展開しています。何を変化させた結果なのでしょうか。

島地 事業によって変化の仕方は異なっています。繊維事業は、糸の製造から始まりました。それが布地へ進み、現在では縫製品の形でお客さまにお渡しするところまで広がっています。社内では「1次元から2次元へ、そして3次元へと立ち位置を移してきた」と表現しています。また、1960年代から海外生産を始め、モノをつくる場所も広げてきました。フィルム事業では、かつてVHSテープ用のベースフィルムが大きな市場になりました。しかし、VHSが市場から姿を消す中で、光学フィルムや電子材料へと用途を転換しています。炭素繊維は、当初から航空機への採用を目標にしていました。ただ、航空機に使われるには非常に高い信頼性が求められます。そこで、ゴルフクラブや釣りざおなど、新素材が受け入れられやすく値段も通りやすい市場で事業を続け、技術を磨きながら航空機用途までたどり着きました。市場での立ち位置を移す、用途を広げる、モノづくりの場所を変える。そして、目標に届くまで粘り強く市場を育てる。そうした積み重ねが、現在の東レにつながっています。

佐藤 サッポロビールは、現在はビールだけでなく、ワインや焼酎、チューハイなども展開しています。150年間で、何を変化させてきたのでしょうか。

武内 顧客価値の定義と、その価値を生み出す仕組みです。150年前に初めてビールを飲んだ方が感じた価値と、現在のお客さまがお酒に感じる価値は、大きく違うと思います。そこで、時代ごとに、お客さまが求めるものを捉え直してきました。単においしい商品をつくるだけでなく、体験や情緒的な価値を生み出すなど、価値創造の仕組みも更新しています。経営形態も、大日本麦酒への統合、戦後の分割、持株会社化、事業持株会社化と、時代に応じて見直してきました。

佐藤 ビールの味も、150年間で変わっているのでしょうか。

武内 時代ごとに好まれる味がありますので、少しずつ変化しています。ただ、日本の食文化の中で、何杯飲んでも飲み飽きない味を届けるというポリシーは変わっていません。食生活やお客さまの嗜好に合わせて味を進化させながら、根本にある考え方は守ってきました。

印刷を起点に、新たな事業を生み出し続けるDNPの変革力

佐藤 DNPが世界トップシェア、国内トップシェアを占める主力製品には、有機ELディスプレイ用のメタルマスクやリチウムイオン電池用のバッテリーパウチ、ICカードなど、一見すると印刷との関係がわかりにくいものもあります。なぜ、これほど多様な事業を生み出せたのでしょうか。

杉田 実は、当社の事業はすべて印刷を起点に広がっています。印刷で培った技術を応用・発展させ、メタルマスク、バッテリーパウチ、ICカード、半導体用のフォトマスク、ディスプレイ用の光学フィルムなど、新たな製品やサービスを生み出し、事業領域を拡大・変化させてきました。近年はさらなる変革への挑戦として「第三の創業」と位置付けた「受注体質からの転換」にも取り組んでいます。これまでの印刷業は、お客さまの要望に応えることで価値を生み出し、成長してきました。ただ、これからはそれだけでなく、自ら社会課題や市場の変化を捉え、主体的に新しい価値を生み出す企業へ変化させていきたいと考えています。

佐藤 AIの浸透によって、世界中の企業で組織改革が進んでいます。一方、日本の長寿企業は、製品や事業がなくなったときにも、大規模な解雇ではなく、人材を別の領域で生かしてきた印象があります。島地さん、東レでは、縮小する事業に携わってきた人たちをどのように配置転換し、その能力を生かしてきたのでしょうか。

島地 東レには、高分子化学や有機合成化学など、事業に共通するコア技術があります。製品や市場は異なっていても、技術の根はつながっていて、“飛び地”の事業には手を出さない。そのため、事業を縮小するときも、技術的に隣接する分野へ人材を移してきました。人によっては大きなジャンプになりますが、同じ高分子や有機合成の領域であれば、リスキリングもしやすい。逆に言えば、まったく関連のない分野へ次々と進出する企業文化ではないということでもあります。

佐藤 DNPでは、紙の印刷市場が縮小する中、そこで働いてきた人材をどのように生かしていますか。

杉田 DNPは、社員一人ひとりの存在と成長が、強みの源泉だと考えており、事業ポートフォリオを組み替える場合、成長分野へ人材をシフトすることを基本方針としています。例えば、出版物の原稿をパソコン上で制作していた約50人のオペレーターを、XR(Extended Reality)コンテンツ制作を担う人材へとリスキリングしました。そのメンバーが、2025年の大阪・関西万博で、日本館やシグネチャーパビリオンの一つ「いのちの遊び場 クラゲ館」などのバーチャルパビリオンの制作を担いました。紙のグラビア印刷に携わってきた人材を、親和性が高く成長分野でもあるバッテリーパウチ用フィルムの製造へシフトする取り組みも進めています。人材を最大限に生かしながら、事業構造の転換に対応しています。

ビールの味を進化させながら、サッポロが守り続けたもの

佐藤 次に、3社が「変化させなかったもの」を伺います。島地さん、東レが変化させなかったものは何でしょうか。

島地 人と社会を大切にする理念です。東レは1926年に創業し、1928年には滋賀の工場内に学校をつくりました。中学校を卒業して工場で働く人たちに、高等教育を提供するためです。その後も、歴代の経営者が「社会に奉仕する」「人はバランスシートに載らない資産である」「企業の盛衰は人が制し、人こそが企業の未来を創る」と、それぞれの言葉で人の大切さを語ってきました。研究開発では、「深は新なり」という言葉があります。深く掘ることで、新しい発見や真実に近づいていくという考え方です。深く追求し、粘り強く続ける姿勢は、これからも持ち続けなければならないと思います。

佐藤 次に武内さん、サッポロビールが変化させなかったものは何でしょうか。

武内 創業時からの開拓者精神と、「サッポロ」というブランドです。私たちのルーツは、北海道開拓使の事業として始まった「開拓使麦酒醸造所」です。日本人の手で、日本の原料を使い、日本人のためのビールをつくる。それまでになかったものを生み出そうとする開拓者精神は、現在の経営理念にも受け継がれています。また、「サッポロ」や「ヱビス」という、地名を冠したブランドを持っていることも私たちの特徴です。地域やコミュニティーと共生し、お客さまとともにブランドをつくってきました。これからもこれらは大切に守りながら、時代に合った形へ進化させていきたいと思います。

佐藤 日本企業が長く存続してきた要因の一つとして、世界の研究者がよく挙げるのが「地域との結びつき」です。サッポロビールは、なぜ東京に本社がありながら、「サッポロ」という社名を守っているのでしょうか。

武内 ビール事業の試験場は、当初、東京につくる予定でした。しかし、ビールづくりに欠かせない大麦やホップの栽培、冷涼な気候などを考えると、北海道・札幌こそが最適な場所だという考えから、計画は見直され、札幌で創業することになりました。翌年に発売したのが、冷製「札幌ビール」です。ビールづくりへの思いと、札幌という土地が結びついている。サッポロという名前には、創業の物語そのものが込められています。「ヱビス」は、ビールのブランド名が街の名前になった珍しい例です。私たちが現在も存在できている理由の一つは、地域やコミュニティー、お客さまとともに、ブランドの個性と物語をつくってきたことにあると思います。

佐藤 最後に杉田さん、DNPが変化させなかったものは何でしょうか。

杉田 大きく三つあります。一つ目は、「創業の志」です。DNPの前身の一つである秀英舎は、創業時の舎則に「文明の営業」という言葉を掲げました。当時の最先端技術だった活版印刷を通じて、人々の知識を広め、社会や文化の発展に貢献するという志です。それは、現在のブランドステートメント「未来のあたりまえをつくる。」にも受け継がれています。二つ目は、「事業の軸足に印刷技術があること」です。現在の多様な事業も、出版印刷で培ったコア技術を応用・発展させたもので、印刷とかけ離れた領域へ進出してきたわけではありません。三つ目は、「挑戦する姿勢」です。製品やサービスは時代とともに変えてきましたが、「創業の志」、「技術の軸」、「挑戦し続ける姿勢」は、これからも大切にしていきます。

ITバブル崩壊、コロナ禍、市場消滅――経営危機をどう乗り越えたのか

佐藤 経営危機をどのように乗り越えてきたかを伺います。皆さんが入社されてから現在までの間で、最も記憶に残る危機と、それをどう乗り越えたかを教えてください。

島地 私が最も記憶に残っているのは、2000年代初頭のITバブル崩壊です。当時、東レは情報通信材料に力を入れていたため、業績が急激に悪化しました。コスト削減や生産体制の改革、事業構成の見直しといった守りの経営を進める一方で、営業の現場では「顧客価値重視型へ転換しよう」と掲げました。私たちの本部では、「お客さまとは取り引きではなく、取り組みをしよう」という合言葉を使っていました。一回ごとの売買で終わるのではなく、お客さまとより深く、幅広く関わっていこうということです。振り返れば、ユニクロとの取り組みや、ボーイングの機体への炭素繊維の採用が進んだのもこの頃でした。お客さまとの向き合い方を変えた、大きな転換点だったと思います。

佐藤 守りを固めるだけでなく、お客さまへの提案を強めることで、攻めにも転じたのですね。武内さんはいかがでしょうか。

武内 私にとってはコロナ禍です。外食・業務用の市場では、売上が減ったというより、一瞬にして「蒸発した」という感覚でした。短期的な業績対策も必要でしたが、それ以上に大切だったのは長期的な視点です。これは、10年、20年後に起きる変化が早く訪れたのかもしれないと考えました。そこで、私たちは酒類を製造するメーカーではなく、お客さまの価値や体験を生み出す「体験創造業」になろうと考えました。飲食店の生ビールの品質向上や体験イベントなど、ものを売るだけでなく、体験の質を高める取り組みへと力のかけ方を変えています。

佐藤 杉田さん、DNPが経験した危機について教えてください。

杉田 DNPは150年の歴史の中で何度も危機を経験してきましたが、特に戦中・戦後の統制経済や労働争議などでは重大(深刻)な経営危機に直面しました。その危機を乗り越えるために、出版印刷だけでなく、ほかの事業領域へ挑戦したことが、現在の多様な事業基盤につながっています。ディスプレイ分野でも、ブラウン管から液晶、有機ELへと技術が移り、主力製品が市場からなくなる経験を重ねてきました。しかし、ブラウン管用シャドウマスクの技術は、有機ELディスプレイ用のメタルマスクへと発展しており、現在は世界トップシェアを獲得しています。市場がなくなっても、そこで培った技術までなくなるわけではありません。環境の変化に合わせて技術を進化させ、次の分野で生かすことで、危機を成長の機会に変化させてきました。

ボウリング場、黒ラベル休売、光ディスク――失敗から得られたもの

佐藤 今回の調査では、長寿企業の成長要因として、失敗から学ぶ風土も挙げられています。皆さんの会社で、今も語り継がれている失敗作や失敗事業はありますか。

杉田 DNPは印刷技術を事業の軸にしてきましたが、唯一の例外が、1970年代に参入したボウリング場の経営です。

佐藤 DNPがボウリング場を経営していたのですか?!

杉田 そうなんです。ただ、自社の強みを十分に生かせず、ブームの収束とともに撤退しました。この経験から、自らの強みを軸に事業を広げる大切さを学びました。その後、バブル期には不動産やリゾート開発、財テクなど、さまざまな話が持ち込まれましたが、印刷技術を応用できないものには手を出しませんでした。その代わりに、新工場や研究施設へ投資し、それが現在の成長につながっています。ちなみに、撤退したボウリング場から4レーンを箱根の保養所へ移設し、今も使っています。転んでもただでは起きない、DNPらしいところかもしれません(笑)。

佐藤 武内さん、サッポロビールはいかがですか。

武内 実は、現在の「サッポロ生ビール黒ラベル」の前身である「サッポロびん生」を、一度やめたことがあります。1988年のドライ戦争(辛口のドライビールをめぐるビール会社の熾烈なシェア争い)の頃、当時「サッポロびん生」という商品名だった黒ラベルを、新しいお客様を獲得しようと、「サッポロドラフト」へ切り替えました。ところが、「なぜ、びん生をやめたのか」「再発売してほしい」という声が数多く寄せられ、約半年後に復活します。その際、お客さまが愛称として使っていた「黒ラベル」を正式な商品名にしました。この経験から、ブランドは会社だけのものではなく、お客さまとともに育てていくものだとあらためて気づかされたのです。

佐藤 半年で復活させたところに、サッポロビールの柔軟性を感じます。

武内 お客さまとの距離が近いことは、私たちの強みだと思います。ただ、もう少し早く気づくべきでしたね。

佐藤 島地さん、東レにはどのような失敗がありますか。

島地 失敗作は数え切れないほどあります(笑)。私自身が関わったものでは、1990年代の書き換え型光ディスク事業があります。VHS市場がなくなり、世の中がDVDへ移る中で、「次はディスクだ」と考えて参入しました。しかし、自社技術の強みの検証も、販売チャネルやBtoCブランドに対する検討も不十分でした。前提が甘いまま走り出し、案の定、失敗しました。失敗を無理に美談へ変える必要はないと思います。ただ、一つひとつの経験を蓄積し、無駄にせず、次の判断の肥やしにしていく。その歴史は会社の中に残っていると思います。

次の100年へ、受け継ぐものと挑むこと

佐藤 最後に、次の100年に向けて、今後も大切にしていきたいことを教えてください。

島地 人をしっかり育てることです。社会に貢献するという創業以来の精神を大切にし、自分たちが生み出すもので社会を変えていくという気概を持つ人を育てたいと思います。また、現場主義も大切にしています。ただ、現場には顔と名前のある人たちがいるからこそ、変化のスピードが遅くなることもあります。健全な危機意識を持つリーダーを育て、変えるべきものをしっかり変えていく。それを続けることが、社会に必要とされる企業であり続けることにつながると思います。

武内 サッポロビールは創業時からの開拓者精神と、お客さまとともにつくるブランドを大切にしていきます。そして、新しいお客さまに新しい価値を提供し続けることも大切です。それができなくなったとき、企業としての存在意義もなくなると思います。魅力的なビールとは何か、魅力的なお酒とは何か、魅力的な外食体験とは何か。常に問い続け、お客さまの豊かな生活をつくり続けたいと考えています。

杉田 DNPは二つあります。一つは、「オールDNP」として、一人ひとりの強みを掛け合わせ、新しい価値に挑戦していくことです。もう一つは、前例にとらわれない発想で、新たな価値の創造に挑戦し続ける企業風土をつくることです。150周年のキーコンセプトとして、「前例を力に、前例のない夢に挑む。」を掲げています。これまで受け継いできたDNPの志、技術、知見、組織力、そして何よりも人とのつながりを大切にして、これからの100年も成長を続けていきたいと思います。

コラム佐藤智恵氏が見た、長寿企業に共通する「イノベーション力」

今回のトークセッションを終えて、あらためて思い起こしたのが「長寿企業は革新的だからこそ、長く存続することができたのだ」というハーバードビジネススクールの教員の言葉です。

一般的に、長寿企業は、スタートアップ企業よりも守るべきものが多い分、イノベーションを起こすのが難しいと言われています。ところがDNP、サッポロビール、東レの3社は、100年以上にわたって、何を維持して、何を変えるのかを問い続けながら、伝統と革新を両立させてきました。

中でも印象的だったのが、主力製品の市場や需要が縮小した際にも、長期的な視点を持って人材を育成しつづけ、新たな技術や事業を開発してきたことです。DNP、東レは、既存事業から技術的に隣接する成長分野へ人材を配置転換することによって新規事業を育て、サッポロビールはパンデミック下でメーカーから体験創造業へと舵を切り、人の力でピンチをチャンスへと変えていきました。

また自社の失敗事業や失敗製品を時には笑いとばし、逆に新たな製品・サービスの創出に生かしていこうとする文化があるのも、3社に共通した特長であったと思います。

一方で、戦争、自然災害など、ありとあらゆる危機を乗り越えてきた長寿企業が、サイバー攻撃など、これまで経験したことのない脅威には、強い危機感を持って対応していることが分かりました。こうした未知の課題に挑む上で不可欠なのが「謙虚に学習する能力」ですが、この能力がすでに多くの長寿企業に備わっていることもこのトークセッションで認識することができました。

DNP、サッポロビール、東レの3社から学んだのは、日本の長寿企業にはとてつもない潜在能力があること。これからも、日本の長寿企業が、自社の強みを生かしながら、持続的に成長していくことを願っています。

登壇者プロフィール(写真右から)

島地啓(しまじ・けい)

東レ株式会社 上席執行役員。1982年入社。印写システム事業部で輸出営業や北米マーケティングを担当し、米国駐在を経験。その後、印写システム事業部長、東レインターナショナル取締役、東レ・ダウコーニング社長、マーケティング企画室長、在アメリカ東レ代表などを歴任。アメリカ代表在任中の2020年に執行役員に就任。2023年上席執行役員 電子情報材料事業本部長を経て、2025年4月から現職である上席執行役員 コーポレートコミュニケーション部門長。

武内亮人(たけうち・あきと)

サッポロビール株式会社 常務執行役員。1997年入社。営業部門を経て、メディア戦略やブランドマーケティングに携わり、「サッポロ生ビール黒ラベル」を中心とするビール類のブランドマネージャーを務める。ベトナムの海外子会社への出向・駐在を経て、2020年ビール&RTD事業部長、2023年常務執行役員マーケティング本部長、2025年に取締役執行役員に就任。2026年7月から常務執行役員 経営企画部・広報部・事業開発部・戦略企画部担当。

杉田一彦(すぎた・かずひこ)

大日本印刷株式会社 専務取締役。1982年入社。九州事業部営業管理部長、市谷事業部企画管理部長などを経て、2015年よりコーポレートコミュニケーション部門を担当。2018年常務執行役員、2024年専務取締役に就任。現在はコーポレートコミュニケーション本部、IR・広報本部、コーポレート総務部などを担当。

佐藤智恵(さとう・ちえ)

作家・コンサルタント。1992年東京大学教養学部卒業後、NHK入局。コロンビア大学経営大学院でMBAを取得後、ボストン コンサルティング グループなどを経て、2012年に独立。企業経営、リーダーシップ、日本史、長寿企業などをテーマに執筆・講演活動を行う。『なぜハーバードは虎屋に学ぶのか』ほか著書多数。