村田真/酒井千穂 |
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10/15〜10/21 |
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松本秋則
9/24〜10/11 a piece of space APS[東京] |
数枚の羽根を組み合わせてつくった「鳥」が10羽ほど。竹ヒゴのカゴのなかに入っているものもいる。しばらく見ていると、突然ブルブルと動きだし、次々に首に吊るされた鈴がシャラシャラと鳴る仕掛け。鳥のような具体的なかたちが出てきたのは珍しいが、基本的原理はこれまでと同じ。会期はすぎていたけど、まだ搬出されてなかったので見せてもらった。
[10月15日(水) 村田真] |
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クモの網展
9/4〜11/22 INAXギャラリー1[東京] |
濃紺の地に白いクモの網のパターンが描かれている。といっても手で描いたものでもプリントしたものでもなく、本物のクモの網に白いスプレーを噴きかけ、青い台紙に採集したものだそうだ。こういう自然の織りなすパターンは文句なく美しい。ぼくも尻から絵具を出して絵を描いてみたい。
[10月15日(水) 村田真] |
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堂本右美「After All」
9/26〜10/25 ギャラリー小柳[東京] |
赤、オレンジ、黄色という暖色系の絵具でボカシたように塗られた地の上に、寒色系の青白色の線が踊っている。地の色が火だとすれば線は水か。この色彩感覚は真似できませんね。これだけでも美しいが、もちろんこれで終わりではない。かたわらに黒一色のドローイングがあり、一見偶然にできた抽象的パターンのようだが、よく見ると人のかたちに見えたり、ロールシャハ・テストのパターンに見えてきたりもする。どうやら青白色の線はこのドローイングから来ているらしい。そうしてあらためて見てみると、青白い線に逆さまに落下する人の姿が認められるではないか。すごく恐ろしい絵かもしれない。
[10月15日(水) 村田真] |
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石原慎太郎 十代作品展「痛ましき十代」
10/7〜26 アルマーニ銀座タワー[東京] |
15〜17歳のころに描いたドローイングと油絵の展示。仮面、ピエロ、自画像、フランス語の書き込みなど、自我むき出しの表現衝動をストレートにぶつけている。ちょっとシュールで感傷的なイラストといった感じだが、その幼い自意識と拙い表現が微笑ましくもある。なんだ、かわいい時期もあったんじゃねえかみたいな。それにしてもなんでこんなファッショナブルな場所でやらなきゃいけないのかというと、ジョルジオ・アルマーニが石原知事の作品に心を打たれ、同世代として共感したからだという。まあトーキョーワンダーサイトや東京都現代美術館で個展やるよりは罪はないが。
[10月15日(水) 村田真] |
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林勇気 個展「ちいさなまひ」
10/13〜10/26 neutron[京都] |
ファミコンの画面をイメージする風景が展開する林勇気の映像インスタレーション。ミニマルな映像と音のリズムのパターンは一見単調だが、ほとんど白にちかい薄いグレーの少し寂しげな風景画面が移り変わっていく様子や、登場するモチーフのデザインが美しく、人物のややぎこちない動きもどこか目の離せない魅力がある。シンプルな音と映像には特にドラマチックな展開はないのだけれど、現在時刻だけを表示するデジタルの時計を見つめながら、数時間後の予定を頭のなかで考えたりその場面を漠然と想定するときのような感覚と似ていて、静かな緊張感を保った作品は退屈ではない。
[10月19日(日) 酒井千穂] |
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ネオ・トロピカリア:ブラジルの創造力
10/22〜2009/1/12 東京都現代美術館[東京] |
ブラジルの現代美術というと、ぼくのなかでは形式なき(アンチフォーム)アートの代表格ということになっていて、だから底抜けにおもしろい反面、頼りなさも感じる。たとえば、今回の中心作家であるエリオ・オイチシカ(1937-80)の《パランゴレ》という作品。色とりどりの服とヘッドフォンが壁に掛けてあり、観客はその服を羽織ってヘッドフォンを装着し、サンバを踊るという趣向だ。これはおもしろい。でも使用前の壁に掛かった状態はマヌケというほかない。もちろん形式なき作品ばかりではない。いい例が日系3世のホジェリオ・デガキの絵画。動物キャラを編んだ編み物を拡大したかのように編み目まで描いた作品で、その編み目がキャンヴァスの布目とオーバーラップし、否応なく絵画という形式を自覚せしめる。でもどっちの作品にも共通するのは、トボケた味だ。
[10月21日(火) 村田真] |
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