相国寺 様

相国寺 掛軸一幅

相国寺方丈室中の間の中心にかかっている、江戸時代文化年間に活躍した江戸の人、加藤信清(1734~1810)筆の「観音菩薩図」を「伝匠美」で再現しました。十万以上の法華経文の一字一句を忠実に再現しております。 観音菩薩の光背は所蔵家の指導の下にデジタル画像処理技術のバーチャル洗浄にて、光背を強調しています。また、経年にともなう虫食いや破損部分はデジタル画像処理技術のバーチャル補修にて認識できる程度に目立たなくしております。

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原本

伝匠美

相国寺(しょうこくじ)とは

相国寺(しょうこくじ)は世界遺産の金閣・銀閣両寺をはじめ九十余カ寺を数える末寺を擁する臨済宗相国寺派の大本山であります。
相国寺は正式名称を萬年山相国承天禅寺と称し、足利三代将軍義満が、後小松天皇の勅命をうけ、明徳3年(1392)に完成した一大禅苑で、夢窓国師を勧請開山とし、五山の上位に列せられる夢窓派の中心禅林でありました。その後応仁の乱の兵火により諸堂宇は灰燼に帰したが、当山は禅宗行政の中心地として多くの高僧を輩出し、室町時代の禅文化の興隆に貢献した。後に豊臣氏・徳川氏の外護を受けて、伽藍も整備されたが、天明8年(1788)の大火で再び焼失後、文化4年(1807)に旧観を復するに至りました。

*臨済禅 黄檗禅 公式サイト 参考

法華観音図について

相国寺方丈室中の間にかかっている観音菩薩は江戸時代文化年間に活躍した江戸の人、加藤信清(1734~1810)によるもので、全て法華経の経文によって画かれている。法華経の中の普門品(ふもんぼん)第二十五は観音経と呼ばれ、観音様について説かれたものである。文字を連ねて像の輪郭を象る文字絵の起源は古いものですが、信清の文字絵はさらに色面までもが文字で埋め尽くす緻密さと、その完成度において孤高の存在と言われている。

*相国寺 参考

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