
鑑賞手段から「インフラ」へ。DNPのデジタルアーカイブ技術が切り拓く文化財活用の未来
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文化財を後世にどう残し、どう伝えていくか――。世界中の自治体や施設が抱えるこの課題に、テクノロジーはどんな答えを提示できるのでしょうか。デジタルアーカイブ研究のトップランナーである慶應義塾大学の福島幸宏准教授を迎え、デジタルアーカイブ関連の多様なソリューションを生み出してきたDNPの担当者が、その現在地と未来を語り合いました!
目次
- 文化財のデジタルアーカイブに立ちはだかるさまざまな「困難」
- テクノロジーで文化財はもっと「面白く」なる。鑑賞体験の最前線
- 匂いや音まで再現可能? 「未来」のデジタルアーカイブ
- 再開発で更新される「地域の記憶」を残す。デジタルアーカイブの可能性
文化財のデジタルアーカイブに立ちはだかるさまざまな「困難」
——文化財のデジタルアーカイブは、関係者が多いだけでなく、アーカイブしにくい形態や保存状態の資料も多く、一筋縄ではいかない難しさがあると思います。現場が直面している課題について、まずは福島先生にお伺いします。
福島:文化財というと国宝や重要文化財をイメージしがちですが、日常的に使われる資料も含めると、その対象は大きく広がります。
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福島 幸宏(ふくしま ゆきひろ)さん
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その上で、(アーカイブの)難しさの一つとして挙げられるのが、自治体や施設でアーカイブに携わる職員の業務フローを柔軟に変えづらい点です。自治体や施設では、デジタルアーカイブの仕事は既存の業務に上乗せされる形で入ってくることが多い。例えば“100”の業務に“30”が上乗せされるわけですから、現場の負担は少なくありません。この“30”をいかに“100”の中に溶け込ませられるかが、ここ数十年の課題であり続けています。
もう一つの大きな課題が、評価制度です。特に、メタデータ(データの内容・特性・利用方法等の情報)を一つひとつ地道につくったり、適切な(外部の)委託先を選定してシステムを構築したりするなど、デジタルアーカイブの根幹を支える「基盤の仕事」が組織で評価されにくい。「展示」のような見栄えのするアウトプットも文化財の認知度を高めるうえで大切な仕事ですが、やはりその手前の基盤整備も併せて評価されるべきだと感じます。
同じく、デジタルアーカイブを「事業として」評価する手法もまだまだ成熟していません。評価指標が単なる(デジタルコンテンツの)アクセス数でいいのか――。
博物館法の改正(2023年の改正で「デジタルアーカイブ」が博物館業務の一つとして位置付けられた)で、今ブームが来ていますが、これを一過性のもので終わらせないためにも、事業価値の可視化は喫緊の課題です。
——アーカイブの本質の一つに「残すこと」がありますが、そのための地道な「基盤の仕事」が評価されにくいというのは、構造的な問題ですね。
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田尻 智大(たじり ともひろ)
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田尻:私たちが自治体や施設のデジタルアーカイブをお手伝いする際も、メタデータはお客さまからご提供いただくケースがほとんどです。もし、その整理から私たちが担当するとなると、相当な手間と時間が必要になるのだろうと感じます。福島先生がおっしゃる「基盤の仕事」の大変さは、まさにそこにあるのだと思います。
テクノロジーで文化財はもっと「面白く」なる。鑑賞体験の最前線
——そうした課題があるなかで、DNPは文化財の魅力を引き出すさまざまなプロダクトやソリューションを開発しています。代表的なものをご紹介ください。
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平澤 公孝(ひらさわ きみたか)
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平澤:代表的なものの一つが「みどころシリーズ®」です。文化財をデジタルデータで魅力的に鑑賞してもらうためのシステム群で、キューブ(立方体)タイプのインターフェイスや、グラス(メガネ)、ルーペなどのさまざまなデバイスと連動し、オリジナリティの高い鑑賞体験を実現します。
例えば、ディスプレイ上に表示した文化財の3Dデータをタッチパネルで360度自由に回転させたり、好きなだけ拡大して作品の細部を見たり。また、MR(複合現実)やVR(仮想現実)で、物理的に今この場所に存在していない収蔵品を(デジタルデータとして)目の前に原寸大で出現させ、実際に歩いたり、自分の手で動かしたりするようなこともできます。
——それは面白いですね。現物をただ鑑賞するだけではないデジタルコンテンツならではの「体験」が、文化財との距離をぐっと縮めてくれそうです。DNPのような出版印刷からスタートした会社が、なぜこうした事業を手がけているのでしょうか?
田尻:印刷プロセスに立脚した「写真撮影技術」や「複製技術」を活用できるからです。対象物を高精細な写真として撮影し、それを忠実に複製するというカタログ制作などで培った技術・ノウハウが、「貴重な文化財を記録してほしい」というニーズにつながり、デジタルアーカイブ事業の礎となりました。
——そういうつながりがあるのですね。特に美術作品をデジタル化するうえでは「色」の再現も重要だと思います。実物とデジタルデータの“色味”をどう揃えるかといった課題も?
田尻:はい。撮影や印刷をするうえでの「カラーマネジメント」には特にこだわっています。現物から色が少しでも変われば、作品本来の価値は伝わりません。印刷業界ではあたりまえのことですが。媒体が紙からモニターやスマートフォンのディスプレイに変わっても、基盤となる技術や知見があるからこそ、質の高いデジタルコンテンツを提供できると考えています。
福島:カラーマネジメントがしっかりしているデジタルデータは、後々の活用範囲も全く変わってきます。データのクオリティが高ければ、低コストで広範囲に活用できますし、何よりお寺や美術館などからの信頼も得やすいですよね。
——確かに、文化財を保存する自治体や施設は「できる限り綺麗な形で残したい」と考えるのが自然ですね。そこにはおそらく、技術的にできる/できないの「せめぎ合い」もあるのでは?
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平澤:その意味では、フランス国立図書館(BnF)リシュリュー館のプロジェクトが記憶に残っています。彼らが所蔵する壺などの作品のなかで、光を反射したり一部透過したりする銀や半透明といった素材のものがあったのですが、それらをどう忠実にデジタルデータ化するか――。DNPの撮影技術とカラーマネジメント技術を掛け合わせた結果、最終的にはBnFの学芸員の方からも「これほどの再現度があれば学術的にも問題ない」との評価をいただくことができました。
このプロジェクトには後日談があって。デジタルデータと作品の実物との掛け合わせ企画の展示を日本で予定していたのですが、コロナ禍でフランスから実物を持ってこられない状況になってしまい……。プロジェクトの担当者として頭が真っ白になったのですが、逆転の発想で、事前に取得した高精細なデジタルデータと「みどころシリーズ」を掛け合わせて展示を敢行しました。実物が一つもない展示でしたが、各種メディアでも取り上げていただき、“文化の灯を消さない”というメッセージを発信できたことは良い思い出です。
——胸が熱くなるエピソードですね。美術品以外にも、例えばお寺などの建築物のデジタルアーカイブも手がけているのでしょうか?
田尻:最近は、京都の伏見稲荷大社境内の一部を3Dデータ化し、メタバース空間を制作して、そこを訪れた人たちがアバターとなって自由に回遊できるようにしました。大阪・関西万博のイベントでも期間限定で公開しました。空間そのものを立体的かつ「面的に」アーカイブする試みです。
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福島:あの(京都・伏見稲荷大社の)山の上までをアーカイブしたのですか?
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田尻:いえ、さすがに一部(京都・伏見稲荷大社の楼門、本殿、千本鳥居等の境内)のみでした(笑)。でも、かつては空間のデジタル化には、今よりも膨大なコストと時間がかかっていました。それが、複数の写真から3Dデータを生成するガウシアン・スプラッティングのような新しい3D技術の登場で、かなり効率化できるようになりましたね。
——撮影現場の裏側も気になります。3Dデータ化には、対象物を立体的に撮影することも必要だと思いますが、ドローンを飛ばしたりもするのでしょうか?
平澤:はい。ドローン撮影も行います。天候や太陽光の影響はもちろん、ドローンを飛ばすための許可申請など、撮影にあたって乗り越えなければならないハードルは多いですね。もちろんドローンの使用に限らず、文化財は撮影条件が厳しく、撮影できる時間や照明にシビアな条件が設けられることも少なくありません。だからこそ、事前のロケハン(ロケーション・ハンティング)が重要です。現場に行ってみないと分からないことは本当に多い。
田尻:何より大切なのが、その文化財の価値を一番理解している学芸員さんとの連携です。誰に、何を、どう伝えたいのか。そのストーリーをチーム全員で共有し、十分理解しておくことで、アウトプットの質も格段に上がります。私たちは技術のプロですが、作品の魅力や本質的な価値については学芸員さんから深く学ばせていただき、一緒にコンテンツをつくり上げていく姿勢を大切にしています。
匂いや音まで再現可能? 「未来」のデジタルアーカイブ
——技術の進歩によってデジタルアーカイブの手段が増えてきた一方で、まだまだクリアしなければならない課題もあるのでしょうか。
福島:その一つがライセンスです。せっかくデジタル化しても、権利の問題で使えなければ意味がありません。加えて、文化財や資料はデジタルアーカイブされ、利活用できない限り、「存在しない」と見なされる傾向にあります。例えば海外の研究者が研究対象として日本を選ばなくなるという問題が長年指摘されています。こうした権利関係の問題を解消し、研究しやすい環境を整えようとしているのが中国や韓国ですね。デジタルアーカイブしたうえで、そのコンテンツの権利の所在を明確にすることが、やはり活用の大前提なのではないでしょうか。
——そうした課題をクリアすることで、デジタルアーカイブの手段は今よりもさらに増えるでしょうか?
福島:そうですね。例えば、食べ物や音楽、匂いまでアーカイブできるようになると、体験のバリエーションも広がります。これまでは実験的な取り組みが多かったのですが、蓄積されたコンテンツ量と現在の技術力をもってすれば、もっとリアルなことができるはずです。
——匂いや音のアーカイブ、とてもワクワクします。DNPとしても、そうした新しい領域への挑戦は視野に入っていますか?
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平澤:ぜひ挑戦してみたいですね。実際、匂いや味を数値化する技術も出てきていますし、職人の動きをデータ化して再現するような研究も進んでいます。未来のデジタルアーカイブがどうなるか、固定概念にとらわれず自由に発想していくことが、新たな価値創造につながると信じています。
再開発で更新される「地域の記憶」を残す。デジタルアーカイブの可能性
——新たなデジタルアーカイブの手段をもう少し掘り下げたいのですが、フランス国立図書館や京都・伏見稲荷大社の事例から派生して考えられるようなアイデアはありますか?
福島:伏見稲荷大社の事例で、建築物が立体的かつ「面的に」デジタルアーカイブできるようになったとお話しされていましたが、この技術は再開発で失われてしまう「地域の記憶」をつなぐことにも大いに活用できそうです。
さまざまな要請から開発が行われ、地域の風景が更新されていくのは当然のことですが、並行して、そこにどんな歴史や暮らしがあったのかを残していくこともまた、忘れてはならないと感じます。
例えば、現在建設中(2029年3月完成予定)の成田国際空港 第三滑走路のエリアは古くから集落があった場所です。建設前には研究者たちが手弁当で(その集落の)デジタルアーカイブ化に取り組んでいました。再開発が進む東京の立石(葛飾区)も、芝浦工業大のチームがドローンと地上の両面作戦で撮影しています。
こうした部分にDNPの技術を使えないだろうかと。(DNPのオフィスがある)市ケ谷駅(東京メトロ・南北線)の構内にも江戸城の石垣を模したレプリカが展示されていますが、デジタル化すれば、展示の量はより多く、内容もより深く、よりたくさんの人に見てもらえます。事業化の可能性が出てくるかもしれません。だからこそ、地域の記憶を残すことは、研究者だけでなく、住民にとっても、開発業者にとっても価値のあることだと思うのです。
——地域の記憶を後からでも、その場にいなくても体験できるわけですね。
福島:はい。地域のさまざまな“面”的なアーカイブは、災害からの「事前復興」にもつながります。例えば、和歌山県の太地町のように、津波対策で高台移転が決まった町では、旧市街が丸ごと姿を消すことになります。しかし、その記憶まで失われるのは大きな損失です。DNPの技術を使えば、そうした“失われゆく地域の姿”も半永久的に残すことができるはずです。
——文化財という“点”の保存だけでなく、街やエリアという“面”の記憶を保存する。デジタルアーカイブの役割が大きく広がりますね。
田尻:私たちもそうした活用の可能性を強く感じています。折しも博物館法の改正によって、アーカイブを単なる保存目的だけでなく、より多様な形で活用していく土壌が整いましたから。
例えば、学校教育に展開すれば、子どもたちが郷土への愛着を深めるきっかけになります。実際に、DNPの「みどころシリーズ」の一つ「みどころキューブ®」というプロダクトを教育現場で利用していただいています。
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みどころキューブの強みの一つは、興味のある収蔵品を直感的に探せるデザイン。子どもたちが収蔵品の文様や形、色、美しさに触れやすくすることで、「美術館で実物を観たい」という意欲を喚起しています。
——文化財を「体験」することで、文化財との距離がグッと縮まりそうですね。
田尻:そうですね。そもそも福島先生がおっしゃったような“地域の記憶を残す試み”は、住民のシビック・プライド(地域への誇りや愛着)の醸成に貢献すると思います。また、デジタルアーカイブが地域の住民以外にも広まると、観光のモチベーションの創出につながるかもしれません。
私たちは、デジタルアーカイブが、教育、観光、そして街づくりを支える「地域のインフラ」として機能する未来をめざしています。鑑賞の対象としてだけでなく、誰もが自分のこととして関われる存在へと、その価値を再定義していきたいです。
福島:とても興味深い視点ですね。私自身も、デジタルアーカイブの技術や知見はもっと幅広い領域に活用できると考えています。あらゆる文化財をどう保存し、どう利活用するか、これは決して専門家だけが考えていればいいテーマではありません。その意味で「地域のインフラ」という表現には、より多くの人々が主体的に関われる存在としてデジタルアーカイブがアップデートされていく萌芽を感じ取れました。
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