モバイルサービスを事業の柱に奔走するエンジニア

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大日本印刷株式会社(DNP)は2016年9月21日、アップルのスマートフォン向け決済(Apple Pay)に対応したクラウド型決済サービスをクレジットカード会社向けに開始すると発表した。アップルが、スマートフォンの決済サービスを日本でも10月下旬にスタートさせると発表したわずか2週間後のことだった。

このDNPのサービスは、デジタルセキュリティにおける世界的リーダー、ジェムアルト(本社:アムステルダム)との提携によって提供される。しかし、140年前に印刷会社として創業したDNPが、なぜスマートフォンで交通費や日用品の支払いができるサービスに関わっているのか、意外に思う人もいるかもしれない。しかも、サービス参入を電光石火の速さで表明したのだから、なおさらだ。

DNPの事業は紙への印刷を含め、エレクトロニクス部門、情報コミュニケーション部門、生活・産業部門と多岐にわたる。こうした事業領域の拡大は、印刷技術の応用・発展によってなされており、特に企業や生活者から預かる大量の情報を処理してきた中で、さまざまな情報セキュリティの技術を高めてきた。それを考えれば、DNPが生活に密着したApple Pay向けにセキュリティ性の高いモバイル決済をクラウドプラットフォームで提供することは、何の不思議もない。電子機器間の非接触通信方式である近距離無線通信(NFC)のトップレベルの技術を開発し、提供してきたという下地もある。

ICカードのトラブルシューターがモバイルビジネスを開発

スマートフォンで決済をしている様子

DNPでモバイルサービスを成長させた立役者は、土屋輝直だ。10年ほど前、当時日本市場に出回り始めた非接触ICカードの通信性能の向上に取り組み、課題を特定し、解決した人物である。土屋は、牛久工場(茨城県)に6年間勤務した後、2012年にモバイルサービス部の部長に就任した。与えられた課題は、エンジニアの土屋が今までやったことがないビジネス開発だった。しかも、数年後に数十億円規模の事業を創り出すというミッションが託されていた。

土屋にとって、この異動は「青天の霹靂」だった。「技術者として興味があることではなく、生活者が将来望むようなことを考えなければいけませんでした。ものの見方を劇的に変える必要がありました」。土屋は、それまでの自分の考え方を切り替えるよう努めた。

「"世の中の人が何をするにもモバイルに頼る"という、今までにないライフスタイルを想像したりしてみましたが、現実にはそこまでの行動はしない。新しいことをやっても、利用者の反応はもうひとつでした」と当初を振り返る。が、転機は意外に早く訪れた。

ここ1、2年、モバイルサービスが世界的に急速に発展し、DNPのビジネス環境がいよいよ整ってきた。アップルをはじめ、サムスン、グーグルなどの世界的IT企業が次々とモバイルウォレット・サービスの開始を発表し、J.P.モルガン・チェースをはじめとする金融機関も同様のサービスを始めたのだ。

「数年前から仕込んでいた事業が軌道に乗り始めた」と土屋は語り、「"人々が便利に生活できるモバイル決済インフラを作る"というコンセプトで事業を展開したい」と、今後も攻めの姿勢でモバイル事業を成長させることに意欲を見せる。

セキュリティを確保し、キャッシュレス化を推進

クレジットカード番号を確認している様子

モバイル機器やICカードを利用したキャッシュレス社会の構築は、政府の目標でもある。国際的にみても低い日本の電子決済比率を、2014年の18.5%(56.4兆円)から、2020年に向けて大幅に引き上げようと官民挙げての取り組みが行われている。

その流れにも合致するDNPの取り組みは、その高い安全性が特徴だ。スマートフォン内にクレジットカード決済機能を追加することに不安を抱く利用者も多いようだが、その不安を払拭するような、クレジットカード番号などの個人情報を守る仕組みが、クラウドペイメントプラットフォームでは徹底されている。

プラットフォームが"トークン"と呼ばれる暗号をスマートフォンに発行し、利用者はそれを購入時に使用する。トークンは、決済取引の最終段階で暗号からカード番号に復元されるので、「セキュリティは万全」だと土屋は言う。

生体認証が主流になる可能性

スマートフォンで顔認証を利用している様子

また、本人を確実に認証する機能もキャッシュレス取引には重要な要素になる。DNPは2015年、国際的な生体認証規格の標準化団体「FIDO(Fast IDentity Online)Alliance」に参加し、国内の金融機関から大きな関心を集めている。土屋は、「利用者は金融機関ごとに個々の暗証番号を覚えるのは面倒だと考えるでしょうし、スマートフォンに保存した生体認証情報を使って本人認証ができることは非常に便利です」と言い、「1、2年後には、スマートフォンを使ってATMから現金を引き出したりするのを見かけるようになるのでは」と、期待をかける。

DNPの本人認証プラットフォームは、従来のワンタイムパスワードなどに加えて、指紋、虹彩、顔、声紋を認証用の情報として事業者が選べるようになっている。

スマートフォンの次に来る? ダイナミックカード

土屋輝直

DNPがスマートフォンの次に来る技術として期待しているのが、「ダイナミックカード」。これは、複数のカード情報を1枚のカードに集約し、その中から生活者が使いたい"カード"を情報として自由に選べる電子部品内蔵カードだ。

ダイナミックカードは、最大20枚程度のプラスチックカードの情報を、スマートフォンを使って1枚のカードに読み込ませることができる。この1枚でさまざまな決済ができるため、多くのカードで財布が膨らむ悩みも解消できる。DNPは、このような次世代カードの実現を見込んで、数年前から関連技術の特許を申請してきたが、ここにきて、「ビジネスとして花が開く可能性が高くなってきた」と土屋。今後、採用に向けて、銀行やクレジットカード会社に提案していく予定だ。

新しいビジネス分野を開拓するのに、失敗はつきものだ。さまざまなモバイルビジネスの開拓に挑んできた土屋も、その例外ではない。

「これまで何度も失敗してきました。でも、会社はそれを受け入れてくれた。もちろん、その失敗が致命的ではなく、新しい展開につながるものであることが前提ですが」。そんな土屋の言葉にも、DNPの企業風土の一端がうかがわれる。

  • 公開日: 2016年10月21日
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