ggg永井一正氏、企画展外観

ggg35周年・記念対談「グラフィックデザインの最前線を見つめ続けて。」

世界的にも珍しいグラフックデザイン専門ギャラリーとして、「ggg(スリー・ジー)」の通称でも親しまれている「ギンザ・グラッフィク・ギャラリー」。1986年の開館以来35年以上にわたり、グラフィックデザインの可能性を追究する展示を行ってきました。今回は、このギャラリーの総合監修を務めるグラフィックデザイナー・永井一正氏に、gggが果たしてきた役割や価値について語っていただきました。お相手は、数多くの展覧会企画に携わってきたDNP文化振興財団の田仲文が務めました。

目次

永井氏と田仲氏

<プロフィール>
グラフィックデザイナー
永井一正(ながい かずまさ)
1929年大阪に生まれる。1951年東京藝術大学彫刻科中退。1960年日本デザインセンター創設に田中一光らと共に大阪から参加。1975年に代表取締役社長就任、現在は最高顧問。JAGDA特別顧問。札幌冬季オリンピック、沖縄海洋博、茨城県、新潟県、JA、アサヒビール、三菱UFJフィナンシャル・グループなどをはじめとしたマーク、CI、ポスターを多数手がける。80年代後半より、動植物をモチーフとした「LIFE」シリーズをつくりはじめ、2003年より銅版画へと展開する。東京ADCグランプリ、亀倉雄策賞、毎日デザイン賞、毎日芸術賞、芸術選奨文部大臣賞、紫綬褒章、旭日小綬章、姫路市文化芸術大賞、ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ金賞、ブルノ国際グラフィックビエンナーレグランプリなど国内外での受賞多数。また作品は、東京国立近代美術館、富山県美術館、ニューヨーク近代美術館、メトロポリタン美術館など世界20カ国以上の美術館に所蔵されている。

公益財団法人DNP文化振興財団
ggg企画室室長
田仲文(たなか あや)

グラフィックデザインと印刷の密接な関係から生まれた「ggg」

——DNPがgggを開館したことについて、永井先生はどんな印象をお持ちでしたか?

永井一正氏(以下、永井):
グラフィックデザインというのは、印刷されてポスター等になることで初めて作品になります。印刷工程がなければ作品は生まれないですし、印刷の出来映えによって作品の仕上がりが変わります。その技術を牽引してきたのがDNPです。グラフィックデザインと密接なつながりを持つDNPがgggを設立したというのは、ぼくたち作家から見ても納得感と信頼感のある組み合わせでした。

田仲:田中先生(田中一光氏)の熱い想いがあって周りが動いた、とも言えますよね。

永井:当時私は一作家という立場でしたが、瀟洒で風格の漂う空間に現代的なグラフィックデザインが展示されるコントラストが斬新でしたね。gggの第1回目の展覧会「大橋正展」の衝撃は、今も覚えています。野菜のイラストレーションの展示だったのですが、身近でありふれた野菜がイラストレーターの手にかかるとこんなにもアート性を帯びるのか、と。

永井氏

設立当時の外観

永井:開館から3年後にDNPはビルを建て替えることになったのですが、gggはその時も別の場所を借りて展覧会を開催し続けていました。普通だったら工事中は休業するものですよね。ちょっとしたエピソードではありますが、こうしたところにも一光さんが率いるgggの熱が感じられ、次第に表現の場としてのブランドが形作られていった気がします。

田仲氏

田仲:田中先生の遺伝子という点では、私たちが大切にしているメッセージがあります。それは、gggがその時代の、世界の、風が入ってくる窓であってほしいというもの。グラフィックデザインは、生活者に近いアートである一方、まとまった形で展示できる場が少ない分野でもあります。現在もなお希少なグラフィックデザイン専門のギャラリーとして、そうした作品を少しでも多くの人に紹介していければと願っています。


永井:gggはいわゆる貸しギャラリー的な運用ではなく、ggg側から作家にオファーしてきた点も大きかったと思います。作家である私から見ても内外の気鋭の作家が招かれる展覧会は非常に刺激的で、次第に世界的にも知られるようになっていきました。

田仲:開館3年目に、早くも海外の作家さんから「gggで自分の展覧会を開きたい」という話があったそうです。そういえば、永井先生がここで初めて展覧会を開かれたのもその頃ですね。

永井:はい、1989年のことです。当時私はそれまでの抽象的な作風から具象的な作風への移行期で、動物の姿を借りて命の尊さを伝えていこうとしていたタイミングでした。そんな折にgggからオファーが来たのは、とてもうれしく、光栄に感じた記憶があります。

グラフィックデザインの可能性を広げる“新しい表現の実験場”

——その後2004年から、永井先生にはgggの企画監修を務めていただいています。現在のgggはどのような展示をしているのでしょうか。

永井:企画についてはgggのメンバーたちが本当によくアンテナを張ってもらっているので、ぼくは軽く意見を言う程度です。ただ、グラフィックデザインを文化として根付かせていくためにも、表現手法やモチーフを限定せず、幅広い作品を紹介していきたいと考えています。

ぼくを含め、gggに出展する作家はみなさん、特別な想いを持っていると思います。新作を作り、一番新しい自分の表現を世の中に問う。そこで自分自身も変革していく。gggをそうした新しい表現の実験場として活用してもらえるとうれしいです。

田仲:私たちのなかには、過去の業績を振り返るといった回顧的な展示ではつまらないという思いがベースにあります。グラフィックデザインの価値を広げていくような、新しいチャレンジをしていきたいですね。

ggg創設当初から、コンピューターグラフィックスやウェブデザイン、データビジュアライゼーションなど、その時々の新たな視覚表現を取り上げ、取り扱い領域を広く捉えて活動してきたという経緯もあります。その一方、タイポグラフィや装丁、ポスターなどグラフィックデザインの王道ジャンルとのバランスというのも課題のひとつです。

かなり専門的な領域を深掘りした内容であっても、よいものをきちんと提示すれば幅広い層に興味を持ってもらえるということも、様々な企画展を通して知りました。例えば、2017年に開催した白井敬尚さんの「組版造形展」では、雑誌や書籍の組版の実践を紹介するため、細かい文字の見開きページがずらりと並ぶというかなりマニアックな展示構成となりましたが、想定していた以上に若い世代の来館があり、その多くがじっくり丁寧に鑑賞している姿が印象的でした。

第362回企画展

第362回企画展「組版造形 白井敬尚」(2017年)

永井:アレクサンドル・ロトチェンコやレイモン・サヴィニャックといった巨匠たちの作品に息づく直截的な訴求力に感銘を受ける一方、新人の作家には従来の枠にとらわれない新しい発想があふれています。最近では、三澤遥さんの展示もすごく斬新でした。会場で金魚が泳いでいたり、色鉛筆の削りかすが花びらのようになっていたり。まさに表現の実験場といった展覧会でした。

第370回企画展

第370回企画展「続々 三澤 遥」(2018年)

また、2015年に開催されたライゾマティクスの展覧会では、私の作品をはじめ、田中一光、横尾忠則、福田繁雄、4人のポスター作品を解析し、その結果を作品として発表していました。映像の専門家ならではの斬新な発想で、グラフィックデザインの新たな一面を見せてくれた思いです。

リアルな場の価値を活かし、次世代のグラフィックデザインを追究

——2021年はggg設立から35周年。ここまでの歩みをもとに、今後はどんな取り組みに力を入れていくお考えでしょうか?

田仲:gggではこれまで、展覧会の初日に、作家さんと来場者が触れあえるオープニングパーティを行ってきました。しかし、コロナ禍で一時休館になり、再開後もそのようなイベントなどは行えていません。こうした経緯を経て、あらためて“人と人が出会う場”としての価値を再認識することができました。学生を含めた来場者の皆さんは、気鋭の作家の素顔に触れることができ、作家は作品に対するさまざまな意見や感想を直に聞くことができる。グラフィックデザインのすそ野を広げるこうした取り組みには、これまで以上に注力していきたいです。

また、再開後の企画で特に盛況だったのは、2020年に開催した石岡瑛子さんの展覧会でした。妹の石岡怜子さんが監修してくださったのですが、「みんなに何かいいエネルギーを与えられる展覧会にしたい」とおっしゃっていたのが印象的でした。今後もその言葉を忘れずに活動していきたいと思います

第381回企画展

第381回企画展「SURVIVE – EIKO ISHIOKA/石岡瑛子 グラフィックデザインはサバイブできるか」(2020年)

永井:35年以上も前にまかれた種が芽を出してここまで大きな存在になった背景には、gggのメンバーやDNP関係者のアートに対する敬意と理解がありました。2008年には運営母体が大日本印刷株式会社からDNP文化振興財団へと移管されたことで、gggの活動もさらに活発になっています。

一方、グラフィックデザインの領域も、この35年以上の間で大きく広がりました。近年、組版や活版といったDNPの原点ともいえる領域をテーマとした展示が登場しているのも興味深い動きですね。

デジタル技術の急速な進化で社会のあり方が変わろうとしている今、gggという貴重な場を舞台に、次世代のグラフィックデザインのあり方を追究していきたいと考えています。

  • メインテーマ画像及び、第362回、第370回、第381回企画展 Photograph by Mitsumasa Fujitsuka
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