超低反射フェイスシールドを開発した酒井美希と笹本和雄

社内SNSの投稿から生まれ「オールDNP」で開発した「超低反射フェイスシールド」

コロナ禍で見かける機会が増えたフェイスシールド。しかし実際の利用シーンでは、光の反射で、着ける人の視界が悪くなったり、相手からも表情や口元が見えにくくなったりといった課題があった。この課題を解決すべくDNPが開発した「超低反射フェイスシールド」は、反射率0.2%以下と、ほぼ光を反射させない画期的な製品。装着しているのがわからないほど光の映り込みが少なく、装着時の不快感も大幅に軽減できる。 開発が始まったきっかけは、社内SNSに投稿された聴覚に障がいがある社員の声だった。膨大な投稿の中で埋もれかけていた一言を拾い上げ、あらゆる部署を巻き込んで発売にまで至った経緯とは。プロジェクトを立ち上げた酒井美希と笹本和雄に話を聞いた。

目次

酒井美希(コンバーティングセンター)と 笹本和雄(ファインオプトロニクス事業部新規事業開発本部)

酒井美希 コンバーティングセンター(左)
笹本和雄 ファインオプトロニクス事業部新規事業開発本部(右)

社内SNSに投稿された「透明マスクがほしい」という声

マスクをする日常があたりまえとなり、国内で最初の緊急事態宣言が出た直後の2020年4月、DNPの社内SNS「Yammer」に、聴覚に障がいがある社員から一件の投稿があった。

「マスクで口元が見えず、コミュニケーションが取りにくくなってしまった。DNPで透明なマスクの開発はできないでしょうか?」

この投稿に多くのコメントが寄せられた。当時、フィルムを活用する新規事業のテーマを探していたコンバーティングセンターの酒井も、この投稿を目にした1人だった。

光の反射防止機能に優れたDNPの高機能フィルムを使えば、透明なマスクを作れるかもしれない——。

酒井はアイデアをすぐに取りまとめ、透明マスクのニーズや市場の調査を始めた。5月半ばにはSNSに投稿した社員本人と面談。実現に向けて動き始めた。

しかし、すぐに1つの課題に直面する。フィルムをマスクに用いると、顔に張り付いて呼吸がしにくくなってしまうのだ。投稿者が求めていたのは、「コミュニケーションを阻害しないツール」。検討を重ねた結果、より短期間で実用化が見込めるフェイスシールドの開発が浮上してきた。

超低反射フェイスシールドを装着している酒井美希(コンバーティングセンター)

この写真でもDNPの「超低反射*1フェイスシールド」を装着しているが、
ほぼ「見えない」ため、表情がはっきりとわかる。

「目に見えないマウスシールド」を作りたい

時を同じくして、もう1つの動きが社内で進んでいた。

ディスプレイ関連製品や電子デバイスを開発・提供するファインオプトロニクス事業部で新規事業開発を担う笹本は、コロナ禍の社会に対して何か貢献していきたいという個人的な想いから、業務の合間をぬって3Dプリンタでマウスシールドの自作に取り組んでいた。

試行錯誤するなかで光の反射を抑えるフィルムを貼ることを思いつき、市販のフィルムで試作をしてみたものの、わずかに見える反射光がどうしても気になってしまう。

そんなある日、ふと思い出したのが、以前にDNP社内の展示会で見かけた、ディスプレイ表面の光の映り込みを抑える超低反射フィルムだった。世界でもトップシェアを獲得している*2DNPのディスプレイ用のフィルムは、光の反射率が圧倒的に低く、貼ったものがまるでそこに存在しないかのように見えた驚きを思い出したのだ。「あのフィルムを貼れば、『目に見えないマウスシールド』ができるのではないか——。」

笹本は超低反射フィルムを活用してみるため、1か月ほど前に事業部内で始まったばかりの新規事業提案制度に応募。そのアイデアが採用されたことで、応募の翌週には超低反射フィルムを製造する広島県の三原工場にサンプルの提供を依頼する。連絡を受けた同事業部・営業本部の小川武伺は、当時を振り返る。

「私たちの超低反射フィルムは、それまでTV等のディスプレイの最表面用途で多くの実績がある一方、それ以外の多用途への展開が課題となっていました。そこに届いた笹本さんからの社内連携の依頼は、コロナ禍という社会課題にも応える内容で、私たちの製品の高い品質をより多くの人に利用していただける機会と考えて、迅速に対応しました。」

小川らの協力を受け、笹本の試作品は完成する。装着していることが一見わからない、不可思議なほどの透明さ!漠然とイメージしていた「目に見えないマウスシールド」が、具体的な形をともなって生まれた瞬間だった。

超低反射フェイスシールドを装着している笹本和雄(ファインオプトロニクス事業部新規事業開発本部)

製品化を目指し、市場調査をスタート

こうして、まったく別なフィールドで動き始めた2つの取り組みが、部署を横断する情報交換会を経由して合流したのが5月のこと。翌月にはそれぞれのアイデアを掛け合わせ、「目に見えないフェイスシールド」を作るという方向が定まり、超低反射フィルムを貼った製品の開発が本格的に始動する。初期の試作品の段階から従来のフェイスシールドとの見え方の違いは一目瞭然で、酒井は「この製品を求めている人はたくさんいるはず。絶対に売れる」と確信を持った。

一方、製品開発と並行して、ニーズの掘り起こしや販売ルートの確保も急がなければならなかった。聴覚に障がいがある社員の声から始まったという経緯もあり、なるべく多くの聴覚障がい者や手話通訳士などの意見を取り入れ、実際に使ってもらわなければ意味がない。販売ルートの確保は、開発と両輪で進めるべき重要なミッションであった。そこで酒井は、商社としての機能を持つグループ会社の大日本商事に、マーケティングや生産・販売の相談を持ちかける。同社の矢根未悠(やね・みゆ)は、次のように語る。

「福祉の関連で一定のニーズがあることはわかっていましたが、酒井さんが道筋を付けてくれたことで大きな推進力が生まれました。やるべきことは広く、作業量も膨大でしたが、一つひとつ確実に対応し、思いのほか短期間で進めることができたと思います。」

酒井と笹本は協力を深め、フェイスシールドにどのような社会的ニーズがあるかの調査を本格的に開始。2020年7月には数百個の試作品を作り、聾学校や手話通訳団体、接客・飲食・旅行・教育・エンタメ等のさまざまな分野の企業を訪問してヒアリングを実施した。

試作品を手に取った人からは、「とても見やすく、着けていることを忘れた」「視界に違和感がなく、ストレスなく装着できる」「早く発売してほしい」といった好意的な意見が多数寄せられた。また、「シールドが大きいと手話をするときに手が当たってしまうことがある」などの新たな課題を拾い上げることもできた。

困っている人がいてニーズが生まれ、使ってくれる人がいる。酒井・笹本たちは市場調査を通じて、あらためてこのフェイスシールドに自信を持つことができた。

拡がるプロジェクトの輪、事業部門を超えた連携

商品開発においては、社内の高度な技術や知見を掛け合わせるため、事業部門の垣根を越えた協力が欠かせない。そこでキーワードとなったのが、「コロナ禍で困っている社員の声がきっかけ」というストーリー。「自分も協力したいと思っていた」と語る社員も数多く登場し、プロジェクトはスムーズに進んでいく。

しかし、ここで大きな課題に直面する。販売するために欠かせない、安全性を評価する基準の設定だ。事業部門横断のプロジェクトでもあり、最終的な品質責任部門を決める必要にも迫られた。

ここで救世主となったのが、DNPの研究開発センターの管家 了(かんけ・さとる)だった。酒井の相談を受けた管家は、「複数の部門と大日本商事が有機的につながって商品を生み出せるチャンスとあって、自分もそこに参加できる喜びがありました」と、協力を申し出る。

取り組んだのは、どのような使われ方を想定するか、その際にどの程度の性能があれば品質を保証できるのかなどを決めること、そして品質の安全性の評価をさまざまな角度から実施すること。例えば、消毒用アルコールで表面を繰り返し拭いた場合の耐久性や、紫外線のカット率、誤って落下させた場合の破損の有無などについて、ひとつずつ評価していった。短期間で数多くの評価をしなければいけないこともあり、発案者の一人である笹本も評価の現場に常に立ち合い、評価要員としてサポートを行った。

そして2020年10月――。社内SNSの投稿から始まり、多くの部署の多くの人が連携して開発された超低反射フェイスシールドが、法人向けに発売された。反響は大きく、記者会見の手話通訳士や、ショールームや美術館のスタッフなど、幅広い分野で採用実績は拡がっていった。

従来品(右)に比べ、圧倒的に反射光が少ないDNPの「超低反射フェイスシールド」(左)。

従来品(右)に比べ、圧倒的に反射光が少ないDNPの「超低反射フェイスシールド」(左)

社員の「やりたい」を「オールDNP」で実現

すべての始まりとなった社内SNSへの投稿。これを書き込み、その後も酒井・笹本とヒアリングを重ねて開発に協力したDNPメディア・アートの山中正和は、今回のプロジェクトを次のように振り返る。

「最初に投稿したとき、自分が想像していた以上に、全国のDNP社員からたくさんの情報や意見をいただきました。社内SNSなどの情報共有インフラが整備され、今回のような些細なことがきっかけで新たな事業が生まれたことに、『オールDNP』の総合力の大きな可能性を感じています。私自身も『共生社会』の実現をめざし、障がいのある方が求める商品をこれからも発案していきたいです」

2020年4月の発案から発売までプロジェクトを取りまとめてきた酒井と笹本。誰かに依頼されたわけではなく、それぞれの「誰かの役に立ちたい」という思いに周囲の人が賛同して、一歩ずつ進んできた。

酒井は、「たくさんの人に喜んでいただけて、自分の行動が絶対にプラスだと思えるこの事業に関わることができて、本当によかったです。聴覚障がいのある方がコミュニケーションしやすい社会をつくるためには、こうした製品が『あたりまえ』に使われることが欠かせません。今回のプロジェクトをひとつの通過点として、より良い社会をめざして自分なりの挑戦を続けていきたいと思います」と話す。

プロジェクト以前からDNPの超低反射フィルムに着目していた笹本は、「DNPのフィルムの先進性を伝える良いきっかけになったと思います。社会貢献という観点からも、“DNPって、意義深い取り組みをたくさん手掛けているんだな”と多くの人に気づいていただけたのではないでしょうか」と振り返る。

2人はすでに、「超低反射フェイスシールド」のさらなる改良に目を向けている。シールドを曇らなくさせる方法、シールド部だけでなくフレーム部の反射光を抑える方法など、実現したいことは山積みという。新たな着想と「オールDNP」の総合力があれば、当初は難しいと考えた「透明なマスク」も、そう遠くない未来に実現するかもしれない。

社内SNS「Yammer」でビジネスを創出

DNPは2019年度に社内ネットワークシステムを刷新するとともに、同年10月には社内SNS「Yammer」を導入。地域や組織を超えて自由に情報の収集・共有、対話ができる「オールDNP」のコミュニティを支えている。導入と利用促進を担当したDNP情報システムの小縄彬(こなわ・あきら)は、「Yammer」をきっかけに「超低反射フェイスシールド」の開発が始まったことについて次のように話す。

「コロナ禍でオンラインを前提とする働き方が定着するなか、Yammerのオンラインコミュニティを通じてビジネスの種が生まれたことは、『オールDNP』の総合力を発揮できた素晴らしい事例です。仲間の困りごとに共感して動き出す実行力、『やりたい!』という気持ちを前向きに応援・協力してくれる企業風土、最後までやりきるスピリット。そんなDNPらしさが詰まったプロジェクトであり、私自身、その一助となれたことは望外の喜びです。今後も、『ゆるさ』も許容しつつ『きづき』『まなび』『ビジネスの種』が生まれる視座の高い『オールDNP』のコミュニティとして、社内SNSがより定着するよう工夫をしていきます。」

製品についての詳細情報は、製品紹介HPをご覧ください。
https://www.dnp.co.jp/biz/solution/products/detail/10158821_1567.html

採用実績・寄付実績についてはニュースリリースをご覧ください。
https://www.dnp.co.jp/news/detail/10159172_1587.html

*1 2020年10月当社調べ
*2「2020年版 高機能コーティングの現状と将来展望」(株式会社富士キメラ総研)ディスプレイ用表面処理フィルム2019 年見込より