1945年~1962年 新しい時代を迎えて
1945年(昭和20年)8月、終戦。都心一帯が焦土と化すなか、市谷工場は幸いにも被災を免れました。
活字に飢えた人々は印刷物を渇望し、戦後の出版界は活況を呈しました。当社には注文が殺到、市谷工場の製造能力を増強してこれに対応しました。
その一方で、印刷業界では労働運動が激化。当社も経営を揺るがすほどの深刻な状況に陥りました。そこで当社が下した決断は、労使協調を図り、出版印刷以外の分野――紙器、軟包装、建材、ビジネスフォームなど――に果敢に進出することでした。
1950年代後半、『週刊新潮』を筆頭に、週刊誌の創刊ブームが訪れました。それまで週刊誌は取材力や機動力を有する新聞社しか発行していませんでしたが、当社が出版社のニーズに応え、製造能力を拡充したことで、出版社による週刊誌の発行が可能になりました。
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新日銀券 A十円券 -
紙器印刷 検品のようす -
初の出版社刊行の週刊誌「週刊新潮」創刊号 -
カラーテレビ用シャドウマスクの試作に成功
- 1945年(昭和20年)5月27日
- 被災を免れた市谷工場が陸軍省・海軍省・大蔵省の管理工場に指定される
- 1946年(昭和21年)3月8日
- 市谷工場・新発田工場・秋田工場が、通貨等製造工場管理規則により大蔵省管理工場に指定され、紙幣(A十円券)の印刷開始
- 10月5日
- 京都市右京区に京都工場を開設
- 1949年(昭和24年)5月
- 東京証券取引所に上場
- 9月
- 榎町工場で証券印刷を開始
- 1950年(昭和25年)11月10日
- NHKがテレビ実験放送を開始
- 11月
- 京都工場に紙器工場を設置(紙器分野に進出)
- 1951年(昭和26年)6月16日
- 事業領域の拡大を目指す「再建5か年計画」を発表
- 7月
- ビニール、セロハン、布地などへの特殊印刷を開始
- 8月
- 柄物化粧紙の印刷を受注(建材分野に進出)
- 11月
- 大崎工場が、紙器専門工場として再開
- 1952年(昭和27年)7月
- たばこの外函印刷を受注
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- 多色グラビアエンドレス版の製造に成功。デコラ(住友ベークライト向けメラミン化粧板)の印刷を開始
- 1953年(昭和28年)9月26日
- 特殊印刷の専門工場として新東京証券印刷を買収(王子工場の前身)
- 11月
- 日本最初のスーパーマーケット紀ノ国屋、青山に開店
- 1954年(昭和29年)12月
- 大崎工場で軟包装印刷を本格開始
- 1955年(昭和30年)1月18日
- 北島織衛、取締役社長に就任
- 10月23日
- 榎町工場で帳票印刷を開始
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- 『広辞苑』(岩波書店、1955年5月刊行)を印刷(秀英体活字を使用)
- 1956年(昭和31年)2月
- 『週刊新潮』(新潮社)創刊号を印刷。出版社刊行の週刊誌は日本初
- 9月1日
- 大阪工場を開設。日本精版を吸収合併
- 1957年(昭和32年)8月10日
- 特殊印刷(軟包装)専門の王子工場を開設
- 1958年(昭和33年)8月
- 「チキンラーメン」(日清食品)の袋を印刷
- 10月
- カラーテレビ用部材のシャドウマスクの試作に成功(日本初)
- 1959年(昭和34年)2月
- 東芝が国産初のカラーテレビを発表(1960年7月一般発売)
- 3月17日
- 『少年マガジン』(講談社)・『少年サンデー』(小学館)創刊。ともに印刷を受注
- 11月21日
- 大日本フォトメカニカル工業を設立。シャドウマスク量産開始
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- 半導体回路の原版であるフォトマスクの試作に成功
- 1960年(昭和35年)7月30日
- 埼玉県福岡村(現 ふじみ野市)にミクロ製品専門工場を開設
- 9月30日
- NHKなど5テレビ局でカラーテレビ放送を開始
- 1961年(昭和36年)4月24日
- 九州大日本印刷を設立
- 8月10日
- 大日本ポリマー(現 DNPテクノパック)を設立。ブローボトル成形開始
- 8月21日
- 研究所を技術部より分離し、中央研究所を設ける
- 9月1日
- 北日本印刷紙業を傘下に収め、北海道大日本印刷と改称
- 12月
- 鋼板への直接カラー印刷に成功(日本初)
- 1962年(昭和37年)7月20日
- メタルプリント(現 DNPエリオ(別ウィンドウで開く))を設立。富士製鐵(現 新日鐵住金)との合弁
- 9月
- 紙カップの生産を開始