1963年~1978年 経済変動の波に対応した躍進
日本経済が飛躍的な成長を遂げた1960年代。カラーテレビや自動車などの消費財が一般家庭に普及しました。
当社は、のちに「拡印刷」と表現される多角経営を推進。布地、包材、建材、精密電子部品など多くの分野で印刷技術を応用した製品を開発、着実に業績を伸ばしました。
1970年の大阪万博では、多数のパビリオン設計・製作を担当。これを契機に企画部門が活躍の場を広げました。香港や米国、ヨーロッパなど、海外に営業拠点を設置したのもこの時代でした。
また、この時代は組版の工程を一新させる電算写植システムが登場したほか、活版印刷に代わりオフセット印刷が主流になるなど、印刷技術の革新が急速に進みました。
二度の石油危機を経て日本経済は低成長の時代へと移りましたが、当社は営業・技術・企画の3部門を柱に、企業体質の強化に努めました。
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横浜工場の生産ライン -
竣工当時の営業ビル -
CTS導入期の編集処理装置 -
マーブル柄のカールフィット
- 1963年(昭和38年)1月24日
- 北海道飲料を設立(9月に北海道コカ・コーラ ボトリング(別ウィンドウで開く)に改称)
- 11月1日
- 事業部制を導入
- 1964年(昭和39年)4月30日
- 大日本印刷(香港)有限公司を設立
- 8月20日
- 名古屋の弘益印刷を傘下に収める
- 10月1日
- 東海道新幹線開通(東京-新大阪)
- 10月10日
- 東京オリンピック開幕
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- 漢字テレタイプでの送稿と全自動モノタイプ組版によって『週刊東洋経済』を印刷
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- リードフレームの生産開始
- 1966年(昭和41年)7月
- 市谷に中央研究所棟が完成
- 1967年(昭和42年)7月1日
- 万国博覧会対策本部を設置
- 9月10日
- 紙器専門の横浜工場を開設
- 1968年(昭和43年)8月1日
- 企画制作の専門組織、クリエイティブ・デザインセンターを設置
- 12月15日
- 営業ビル竣工
- 12月21日
- ニューヨーク駐在員事務所を開設
- 1969年(昭和44年)3月21日
- シドニー駐在員事務所およびフランクフルト駐在員事務所を開設
- 7月10日
- 四国大日本印刷を設立(現 DNP四国(別ウィンドウで開く))
- 12月
- ラミネートチューブの生産を開始
- 1970年(昭和45年)3月14日
- 日本万国博覧会が開幕
- 3月20日
- 西独・デュッセルドルフにDNPヨーロッパを設立
- 1971年(昭和46年)7月20日
- マクドナルド国内1号店が銀座にオープン
- 1972年(昭和47年)2月9日
- インドネシアに大日本ギタカルヤ・プリンティングを設立
- 6月1日
- 二葉印刷を合併し、赤羽工場として発足
- 10月4日
- シーティエス大日本を設立。電算写植システムを実用化
- 12月
- 埼玉県蕨市にビジネスフォーム専門の蕨工場を開設
- 1973年(昭和48年)2月21日
- 埼玉県狭山市に狭山工場を開設
- 5月
- 埼玉県三芳町に建材印刷専門の鶴瀬工場を開設
- 10月
- 奈良県川西村(現 川西町)にビジネスフォーム専門の奈良工場を開設
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- 磁気プラスチックカードの量産体制を整える
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- 第1次石油危機。狂乱物価起こる
- 1974年(昭和49年)5月15日
- 「セブン-イレブン」1号店が東京に登場
- 7月12日
- DNPアメリカ(別ウィンドウで開く)を設立
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- 磁気通帳の本格生産を開始
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- 曲面印刷技術(カールフィット)の技術導入
- 1975年(昭和50年)7月7日
- 生産技術研究所(現 生産総合研究所)を設立
- 7月19日
- 沖縄国際海洋博覧会が開幕
- 1976年(昭和51年)5月24日
- DNPオーストラリアを設立
- 9月
- 飲料用の液体紙容器(Lカートンシステム)を開発
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- コーヒークリーム用ポーションパック(雪印乳業)の無菌充填システムを開発
- 1978年(昭和53年)1月
- 大型3次元ホログラム(リップマンホログラムの原型)を開発